【馬ニアな話】薔薇の系譜

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優れた血のみを後世へ受け継がせ、今日まで種の歴史を紡ぎ続けているサラブレッド。例え、競走成績が振るわなかった馬でも、その血筋には、歴史的な名馬のDNAが流れている。つまり、サラブレッドに生まれた以上、凡庸な動物とはならないのだ。たまたまターフで、あるいはダートで良さが出なかっただけの話である。

人間界の名家と同じく、彼らの世界にも代々、名前を受け継ぐことがある。我々ファンは、そんなサラブレッドを見つけると、よく「○○一族」と呼び、彼らの血が後世へ受け継がれるのと同じく、次の世代のファンに語り継ぐ。

1924年。虎の本拠地であり、球児達の聖地である阪神甲子園球場が完成したこの年。イギリスで一頭のフィリーが誕生した。名はローズレッド。競走成績は不明だが、彼女はヘヴンリーウインドという孫娘に恵まれた。この孫娘がとても優秀なサラブレッドで、名血の一族と呼ばれる一号族において系統を確立し、ローズレッドの血を世界中へ伝播させた。

イギリスと対抗意識の強いフランスに、その血筋が流れ着いたのは1988年。父リファール、母リヴィエールドレー。祖父は1973年のベルモントSを31馬身差で勝利し時の馬となった米三冠馬のセクレタリアト。祖母リヴァークイーンは、フランスの桜花賞である仏1000ギニー、サンクルー大賞などGIを3勝した名牝。この英、仏、米の名血を受け継ぎ誕生したフィリーはバラの妖精、ローザネイという名を与えられた。ローズレッド誕生から64年後、再び競馬界に薔薇が咲いたのだった。

素晴らしい血を受け継いだけれど、ローザネイは競馬場で花を咲かせられなかった。フランスで8戦して1勝。なかなか思い通りにならないものである。花弁が一枚、ホロリと落ちる。せっかく咲いた薔薇も、このまま枯れてしまうのだろうか?

ローザネイは、母と祖母が暮らしたフランスを旅立ち、日本へやって来た。この時お腹の中には、シャーリーハイツの仔を宿していた。文化も気候も、世話をするホースマンが話す言葉も、何もかもが違う異国での生活。さぞかし不安だっただろう。しかし彼女は、日本で鮮やかな薔薇の花を咲かせることになる。母国で身籠ったシャーリーハイツの仔は、牝馬だった。

日本競馬をバラ色に染める

ロゼカラーと名付けられた長女は、早くから才能の片鱗を見せた。2歳時にデイリー杯を制し、ローザネイに「重賞勝ち馬の母」という称号をプレゼントした。よく出来た娘さんである。クラシック戦線でも、後方からの鋭い脚を武器に戦った。特にオークスは印象深い。直線、先に抜け出したノースサンデーが、ややお転婆な姿を見せてしまう。横山典弘のエスコートに反抗したノースは左隣にいたキハク、ウエスタンスキャンを弾き飛ばすと、続いて右へも寄ってきた。この時、ロゼカラーはマックスロゼと共に巻き込まれた。しかし、藤田の手綱にブレはなく、府中の坂を真っ直ぐ駆け抜ける。一瞬出し抜いたと思ったが、外から伸びたエアグルーヴ、ファイトガリバーには敵わずの4着。敗れはしたものの、何があってもタダでは済ませないという恐ろしい執念をこのオークスで見た気がする。

後方からの鋭い末脚と、なかなか勝ち切れないキャラ。この2つの要素が、薔薇一族の特徴となる。前者は良いが、後者の要素は非常に鬱陶しいものである。ローザネイからロゼカラーと繋がった薔薇の血を、確固たる存在にしたのが、ローズバドという牝馬だった。

父はサンデーサイレンス。母と同じく橋口弘次郎厩舎に所属し、社台の勝負服をシンボルに競馬場へ現れた。その名が一躍有名になったのは、2001年の桜花賞TR、フィリーズレビューだった。人気は同じ社台の馬で、あのシンコウラブリイの妹という良血馬、ハッピーパス。東の名門、藤澤和雄厩舎に所属し、デビューから岡部幸雄によって英才教育を施されていた。対するローズバドは、当時兵庫の名手として君臨していた小牧太を背に格上挑戦での参戦。人気は6番人気だった。

ロケットダッシュを決めたテンザンデザートにカシノハミング、オイスターチケットらが続き、早い流れでレースは進む。ローズバドはスタートでやや遅れを取り、後方2番手あたりから進んだ。人気のハッピーパスは、中団から徐々にポジションを上げ、勝負所で好位に付ける競馬。名手岡部は王道の競馬をハッピーに課した。

直線。前を進んだ馬達の脚色が鈍り始める。岡部がステッキを抜いた。悲願の桜を目指し、突き進もうとしたその刹那。大外から真っ黒い小さな馬が飛んできた。ローズバドだ。当時、小牧のトレードマークだった白い鞭が、風車鞭となって唸る。坂の上りで、ハッピーパスを捕らえると、最後は1馬身と1/4の差を付けて勝利。中央の重賞を制した兵庫の神は、ハッキリと分かるVサインを作り、その歓喜に酔った。

4角で外へ弾かれる不利を受けながらこの走り。4月の仁川は、桜と薔薇が咲き乱れると思わせる鮮やかな勝ち方だった。しかし、本番は熱発により回避。思い起こせば、母も熱発により桜の舞台に立つことは叶わなかった。これもサラブレッドの血の遺伝なのだろうか?(そこまで律儀に似なくてもいいのに…)

態勢を立て直し、オークスTRのフローラSを3着し、オークスの舞台に立った。例によって後方から進み、直線は堂々と抜け出す競馬を見せた。これは勝てる。母の無念は晴れた!と思った時、外から府中を庭にするトニービンの娘、レディパステルが猛追。アメリカのスーパージョッキー、ケント・デザーモの剛腕に押されたパステルは薔薇の少女をゴール前で差し切った。着差はクビ。ローズは2着に敗れた。

夏を越して秋。オークスから馬体重が14kg増え、パワーアップしたローズバドが競馬場に戻ってきた。挑むは秋華賞TRローズS。GIはもちろんだが、薔薇一族としてこのレースは他の馬に譲るわけにはいかない。しかし、遅れてきたヒロイン・ダイヤモンドビコーを捕らえられず2着。春に負かした藤澤厩舎に、薔薇のタイトルを持って行かれてしまった。クラシックレース同様ローズSも生涯一度きりしか走れない。

溢れそうになる悔し涙を、嬉し涙に変えるべく本番の秋華賞へ。一度叩いて上積みの見込める状態で、最後の一冠を目指した。桜の女王、テイエムオーシャンが4角で先頭に立ち堂々と抜け出す。その内を突いて、ローズバドは脚を伸ばした。良い伸びだった。しかし、逞しき海の女は彼女を寄せ付けなかった。2着。悔しさで目頭が熱くなってきた。

クラシックレースを走り終えた3歳牝馬を待ち構えているのは歴戦の古馬達。ここから先は手練れのオジサン、オバサンを相手にしなくてはならない。戦いはより一層厳しくなる。

女子校を共に卒業したテイエムオーシャン、レディパステル、マイニングレディ、ポイントフラッグ(ゴールドシップの母ちゃん)らと共に、ローズバドはエリザベス女王杯に挑んだ。立ちはだかるのは、酸いも甘いも経験したババ…淑女集団。2001年のエリザベス女王杯は、フニャフニャの野郎なら尻尾を巻いて逃げ出すような迫力あるレースだった。

レディパステル、ティコティコタック、テイエムオーシャン、トゥザヴィクトリー、そしてローズバドによる熾烈な競り合い。1着から5着のタイム差0.1秒の接戦を制したのは、従来の逃げ戦法を採らず、中団から進んだトゥザヴィクトリーだった。ローズバドは勢い良く追い込んできたが、ハナ差及ばず2着…。勝利への執念は見せた。しかし、泣いても喚いても、ハナ差が詰まることはないのだ。私は競馬の厳しさを、このエリザベス女王杯で見た。

全体、競馬の神様は、この小さなフィリーに何の恨みがあったのだろうか!一つくらい勝たせてやれよ!と、叫びたくなるような成績である。我々が嗜む馬券も、ハナやアタマ差などの僅差でハズレると、ダメージは大きくなる。特に単勝握って、ハナ差の2着なんてハズし方は、夕飯も食べられなくなるくらい悔しいものだ。馬達に勝った負けたの意識があるとするならば、この時期のローズバドは涙も流れないくらいの悔しさを味わったと思う。

何かの糸がプチリと切れたのか、エリザベス女王杯以降のローズバドは不振に陥った。小さな体を目一杯躍動させ、屈強な牡馬達に立ち向かうも掲示板がやっと。もしも、ヴィクトリアマイルや福島牝馬Sがもっと早くに創設されていればと思うくらい、ローズバドの2002年の春は辛いシーズンだった。

ちらっと兆しが見え始めたのは、その年の暮れ。小牧太を背に挑んだ阪神牝馬Sで3着すると、年明けの京都金杯も3着に入線。相変わらず勝ち切れない状態だったが、徐々に良くなりつつあった。しかしそれも束の間。金杯の後、小倉大賞典、マイラーズC、安田記念と3戦したが、マイラーズでの5着が最高だった。

薔薇の花は枯れた。もうあの末脚を見ることはないだろう…。しんみりとしたムードは、仁川に雨を降らせた。2003年7月3日、牝馬限定重賞の第8回マーメイドSに、ローズバドの姿があった。出走頭数は10頭。一つ年下のオークス馬スマイルトゥモローが人気を集め、同期の二冠牝馬テイエムオーシャンが2番人気。ローズバドは、やや離された4番人気だった。鞍上は青春時代、共に悔しさを味わった横山典弘。雨に煙る仁川に淑女達が飛び出した。

ハナを叩いたのは社台の後輩、3歳馬のレンドフェリーチェ。1角までに3馬身ほどリードを取り、逃走を開始した。番手には人気のテイエムオーシャン。59kgの酷量など我関せず、本田がガチッと押さえておかなくては、どこかへ飛んで行きそうな走りっぷりで、か弱い3歳馬に睨みを利かせた。

ローズバドは例によって後方2番手。彼女と呼吸を合わせ、横山はマイペースに進ませた。斜め前方にいたスマイルトゥモローは、馬場の良い所を通っての追走。東の豊から西の豊に手綱が替わって、さあどうか?
雨に煙る向こう正面。内からスーッと音も無く黒い影が浮上する。ローズバドと横山は、一つずつ、ジワリジワリとポジションを上げていった。

3~4角。先行グループから4、5馬身離れた絶好位まで来た。進路は最内。ここで一呼吸入れた時、外からスマイルトゥモローの捲り脚がプレッシャーをかける。テイエムオーシャンが4角先頭で抜け出す構えを見せ直線へ。オーシャンが、逃げたレンドフェリーチェを交わし堂々と先頭に立つ。その内!ローズバドが一気に突き抜けた。ハマれば誰も敵わない、あの瞬発力を発揮し、坂前でオーシャンを置き去りにする。スマイルトゥモローはまだ後方。伸びは一息だ。グングンと力強く坂を登る。パワーなら負けない!と言わんばかりに、オーシャンも懸命に伸びる。しかし、全ての悔しさを晴らそうとする小さな黒い馬は、誰も寄せ付けなかった。同期の二冠馬も、年下のクラシックホースも。ゲートオープンから2分後。雨の仁川に、鮮やかな黒い薔薇が咲いた。約2年ぶりの勝利。薔薇は枯れていなかった。

その後、翌年の中山牝馬Sまで頑張ったけれど、勝ち星を挙げられず、26戦3勝の成績で引退。2着は6回。チラッと競馬の神さんが微笑んでいたなら、3つ、4つは白星になっていたと私は思う。母として薔薇の血を次へ残す使命についたローズバドは、2007年にキングカメハメハとの間に牡馬を授かった。薔薇の王国、ローズキングダムと名付けられた少年は、一族と縁が深い橋口弘次郎厩舎に所属し、小牧太の手綱で2009年の朝日杯FSを制した。ローザネイ来日から16年。薔薇一族に、悲願のGIタイトルがもたらされた。現在、この孝行息子も種牡馬として暮らしている。母系、さらに父系でも一族の血が残る可能性は高いだろう。

薔薇という花は面白いもので、色と本数によって花言葉が変わる。ローズバドを薔薇の花に例えると、黒薔薇になると思う。憎しみ、恨み、死ぬまで憎むなど、怖い言葉が当てはめられている中、決して滅びることのない永遠の愛なんていう、美しい言葉もある。私はいつの日か、薔薇一族の馬に馬券を助けられた時、999本の黒薔薇の花束を、この一族に贈りたいと思う。