馬の知能ってどれくらい?

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競馬の主役は騎手でもなければ馬主でもない。レースを走る「馬」である。競馬の主役である馬ことを知ることで競馬をより楽しむことができるのではないだろうか。今回は馬の賢さや性格について考えてみたいと思う。

馬は賢い動物であるとよく言うが、さすがに人間の言葉まで理解しているわけではない。人間がいくら事前にレース結果を予想しても彼らは人の言葉や文字が分からない。レースそのものが何だか分からないでとりあえずゲートが開いてジョッキーに鞭で叩かれるからゴールを目指して走ってるのかもしれない。レースに出走して他の馬よりも速く走ってやろうとか、ペース配分をしてスタミナを最後まで残しておこう、などと考えながら走っているのでは?と想像してみたくもなるが、実際はこのようなことはあり得ない。だからこそ不確定要素が生まれ、ギャンブルとしての競馬の楽しみを倍増させているのだ。

競馬が面白いのは馬に”性格”があるから

さらに競馬を面白くさせているのは競走馬の競走能力や性格が個々によって異なるというところにある。その容姿、性格などはバラバラで、賢い馬もいればそうでない馬もいる。賢いとされる馬で何より驚かされるのはその「記憶力の高さ」にある。もともと馬という生き物は記憶力が良いと言われており、特に強い痛みや恐怖を伴った経験はたった一度の経験だけでも一生忘れないといった特徴も持ち合わせている。例えば、2008年に顕彰馬に選出されたディープインパクトは物覚えがよく優秀で、性格も非常に素直で天然なところがあったなどと言われている。普通の馬が10回繰り返して行わないと覚えられないことをディープインパクトは2、3回で覚えていたと調教師は語っている。また、主戦騎手であった武豊もディープインパクトの頭の良さを認めており、菊花賞では3コーナーから4コーナーにかけてスパートをかけることを覚えていたので一周目のゴール板を正規のゴールと勘違いし1周目のホームストレッチで失速ししてしまったことを証言している。スパートのかけどころをちゃんと覚えていた賢さと、ちょっと天然な性格を見事に表している出来事ではなかろうか。

実は知能は”犬”よりも劣る?

他にも、昨年末に引退したゴールドシップなんかは人の言うことを聞かないことで有名で、気が強く、騎手に導かれるより自分主導で行きたいたいタイプであったと言われている。その強烈な個性に魅せられ、ファンも多い馬であった。このように、馬も人間同様いろいろな馬がいるわけで、学習能力が高いものから低いもの、毎日の餌を誰からもらっているのかが区別できる馬、できない馬などばらばらのようだ。哺乳類の中では知能指数は標準程度で、競馬騎手のほとんどは犬と馬のどちらが賢いと思うか?の質問に対してはと答えていることからも、どんなに賢い馬でも犬と同等くらいだと思っておけばいいだろう。犬は人間の3歳児程度とみられているので、感覚としては2~3歳くらいの子供と同じぐらいと考えられる。

ただやはり、G1レースに勝利して大勢の観客の前で鼻息を荒くして勝ち誇っているような仕草や動きなどからは、馬もその場の雰囲気や緊張感を共有しているのではないのかと疑ってしまうようなことがあるもの事実。そんな姿を見ていると、古来より馬は神の使いであり神聖な生き物として捉えられてきたというのにも納得できる。「競馬にはドラマがある」と言われ続けているのも馬ありきで成り立っているのだ。我々人間も地球上で一番知能指数の高い生き物として君臨しているが、同じ事を何度も繰り返して欲に懲りない生き物である。馬を含む他の動物から学ぶべきことはたくさんあるということも同時に認識しておくべきかもしれない。