【追憶の名馬面】ダイワメジャー

福永祐一のメイショウボーラーを先頭に進む18頭。バルクは中位で脚を溜め直線勝負に賭ける作戦に対し、ダイワメジャーは2番手。イタリアの名手ミルコ・デムーロにシッカリと手綱を持たれ絶好位をキープしていた。

直線。道中をロスなく回ったメイショウが、突き放すところへ栗色のムスタングが襲いかかる。坂の前で一気に先頭へ躍り出ると、猛追するコスモバルクを振り切り、皐月のタイトルを掴んだ。一勝馬の身ながら皐月賞Vの記録は、小岩井が最後に送り出したダービー馬、クモノハナ以来の快挙だった。

スカーレット一族に初のタイトルをもたらしたダイワメジャーは、皐月賞馬として二冠目のダービーへ挑んだ。

しかし、距離の壁にブチ当り6着。暴れん坊の彼も、新時代の路線からダービーへ挑んできた恐怖の大王には平伏するしかなかった。

夏を越し秋。陣営は適性を考慮し、クラシック最終戦の菊花賞ではなく、天皇賞秋に照準を定めた。始動戦はオールカマー。菊のトライアルに挑む同期生達より先に、オトナの世界に飛び出したダイワメジャーだったが、トーセンダンディの9着。最下位に敗れ去った。

よもやの大敗を喫したが青写真通り天皇賞秋へ向かった。しかし、全くらしさを発揮できず17着の最下位。春の輝きは完全に消え失せてしまった。

彼から輝きを奪い取った憎たらしいヤツ。それは喘鳴症という病だった。声門拡張筋に麻痺が生じ、咽頭部の被裂軟骨が十分に開かなくなる。この病は、ヒューヒューという独特の呼吸音からノド鳴りと呼ばれることが多い。

全力で馬場を疾走するサラブレッドは、レース時に多量の空気を必要とするが、ノド鳴りを患うとそれを満たすことが出来なくなる。ゆえに、この病は屈腱炎と並びサラブレッドにとって最も厄介な病として位置付けられている。

ダイワメジャーの症状は、正常時の60~70%しか空気が入っていないという重篤なものだった。きっと物凄く苦しかったのだろう…。手術を施しても、元の状態に戻る確率は10%。若年にして引退の窮地に追い込まれたダイワメジャーの処遇を、管理トレーナーの上原博之、オーナーの大城敬三、生産者の吉田照哉が協議した結果、その僅かな可能性に賭けることになった。

美浦から千歳の社台クリニックへ。彼は再び最前基地から故郷へ戻った。そこで彼を待っていたのは、五十嵐ではなく鋭いメス。身体に刃物を入れられ、ダイワメジャーは病と闘った。

手術は無事に成功し、ダイワメジャーは競走馬として再び競馬場へ戻って来た。2005年4月3日、中山競馬場で行われたマイル重賞ダービー卿チャレンジトロフィーに挑んだ彼は、皐月賞の時を彷彿とさせる力強い走りで復帰戦を白星で飾った。

ダービー卿CT以降は勝ち星こそ挙げられなかったが、翌年、2006年の中山記念まで5戦し3連対。その中にはハットトリックにハナ差及ばず2着に敗れたマイルCSもあった。

2走続けて最下位に終わった姿から徐々に本来の良血馬らしい姿に戻りつつある彼の前に名手が現れる。

安藤勝己。

公営笠松から中央の騎手に転身したこの豪腕ジョッキーが、ダイワメジャーを新時代のニーズに合った名馬へと導いていく。

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