【追憶の名馬面】クロフネ

5月27日、待ちわびた第68回東京優駿の日を迎えた。21世紀初のダービーは、全ての強者に門戸を開かれた記念すべきものだった。ただ、ひとつ残念だったのは、アグネスタキオンの戦線離脱。皐月賞を制し、カブトヤマ、カヴアナー兄弟以来2組目の全兄弟ダービー制覇を期待された光速粒子は、ダービーの舞台に立つことはできなかった。

しかし、空前のハイレベルと囁かれた2001年世代。タキオンが離脱しても、全く気の抜けない多士済々なメンツが揃っていた。

芦毛の外国船を迎え撃つ急先鋒として、ファンはジャングルポケットを指名した。暮れにやられた、あのヤンチャ坊主が、再びクロフネの前に立ちはだかる。

同じ8枠に入った2頭。しかし、その走りは対照的だった。どっしりと構え悠然と追走するクロフネに対し、ジャングルポケットは口をパクつかせながら追走していた。やんちゃ坊主とませた坊主。どちらも一長一短あるけど、競馬の場合、ませた坊主の方が少しだけ有利だ。

前はテイエムサウスポーと和田竜二が大逃げ。ダービーもテイエムと和田か!と、観衆は騒めいたが、それが実現することはなかった。

一杯になったテイエムサウスポーに代わり、クロフネが外からは抜群の手応えで捲るように上ってきた。

一生に一度しか走ることができないダービーの直線。クロフネは、堂々ど真ん中を進み始めた。しかし、あの伸びが出ない。坂の中腹で、彼は左右にフラつき伸びあぐねた、それを、あっという間に交わし去ったのは、ジャングルポケットと角田晃一。

全ての想いを叶え、幻から解き放たれた彼らはダービー史に、その名を刻した。マル外解放元年、新時代のダービーは、内国産馬の勝利で幕を閉じた。

武は後に、このダービーについて「いまだに何故伸びなかったのか分からない」と回顧している。

一方、松田は調整が至らなかった、ということに敗因を求めた。彼が想定していた以上に、この時のクロフネは疲弊していたらしい。

競馬に限らず、現実世界というのは、基本的にやり直しが利かない。このダービーも、時を戻してもう一度。というのは不可能だ。

クロフネは5着。史上初めて外国産馬がダービーの掲示板に載った、と考えれば報われる様な気がするけど、陣営には当然、満足感もなく、5着という中途半端な成績にモヤモヤとした感情を抱いた。

次のページヘ