【追憶の名馬面】サイレンススズカ

1994年5月1日、北海道平取町の稲原牧場で、栗毛の男の子が産まれた。父はサンデーサイレンス、母はアメリカのスプリント路線で活躍したミスワキ産駒のワキア。アメリカ競馬の名血を受け継いだ少年は、ワキちゃんと呼ばれ、仔馬の頃から駆けっこが得意だった。どの様な策を講じても、ビュンビュン駆けるワキちゃんのスピードに、牧場のホースマン達は白旗を上げた。

誰よりも速く駆ける。武装手段を先天的に持たない草食動物の本能が、彼の場合、幼駒の頃から溢れかえっていたのだろう。

広い放牧地を勝手気儘、ただテメェの力加減だけに任せて走り回ったワキちゃんも、競走馬として走らなければならない時期がやって来た。1996年の冬、彼は栗東、橋田満厩舎に迎えられ、サイレンススズカという名前を与えられた。

デビューは、翌年の2月1日、京都競馬場。上村洋行を背に、初めてターフへ飛び出した彼は、やはり速かった。時空を引き裂く様な圧倒的スピードを見せつけ初勝利。ただその走りはまだ、勝手に走りたい、という感情が強いヤンチャ坊主のそれだった。

西にバケモノみたいな速さを持つ馬がいる。

ちらりほらりと、早くも彼の名前が囁かれた。大器っぷりを見せつけるかの様に、スズカは、500万下をパスして、いきなり重賞に出てきた。皐月賞トライアル弥生賞。東のファンにも、その卓越したスピードを見せつけるべく、勇み東上したが、鉄檻に嫌気が指した。スターターが扉を開く前に、スズカは一頭、フライング発走をやらかしてしまったのだ。

再度、発馬をやり直し、レースが行われたが、デビュー戦で見せたバケモノぶりは鳴りを潜め、代わりに、ゲートを破壊したバケモノ、というネタ馬臭が漂った。

間違いなく走る馬だ。コイツをコメディホースにしてはいけない。

ネタ臭が漂い始めた相棒を憂いた上村は、プリンシパルSで賭けに出る。気の向くままに走らせるのではなく、控えて末脚を発揮する戦法を、ダービートライアルで実行した。

騎手と馬は互いに教え合い成長する仲だ。この場合、上村が先生でスズカが生徒となる。

名馬にしてやりたいと願う、ウエチン先生の熱血指導は、キンキラキンの青臭い生徒を、見事にダービーへ導いた。

しかし、本番のダービーは全く良いところがなく9着。勝ったサニーブライアンは、府中の広大なターフを、気持ちよさそうに逃げ切り栄冠を掴んだ。

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