【栄光の瞬間】2001年第35回スプリンターズステークス・新たな壁の誕生

1994年。小島太最後の愛の鞭に応え、有終の美を飾ったサクラバクシンオー。

名は体を表す、では無いが、その名の通り圧倒的なスピードで平成初期の短距離路線を駆け抜けた彼のことを、私は近代日本競馬史上最速のサラブレッドと思っている。

そんなバクシンオーが去り際に残した、一つのタイム。

67.1秒。

サラブレッド的に見れば、瞬間とも言えるこの僅かな時間は、次代を担うスピード馬達の前に、強固な壁として立ち塞がった。ヒシアケボノ、フラワーパーク、タイキシャトル、マイネルラヴ、ブラックホーク、ダイタクヤマト。今日でも名を語り継がれる優駿達が、これに挑んだが、崩すことは出来なかった。

20から21へ。100年単位でしか進まない世紀が、ゆっくりと一つ歩みを進めた。新たな時代に突入しても、バクシンオーの壁は、中山に聳え立ったままなのだろうか?100年、200年経っても…。

2001年、偉大な記録に恐怖の色が混ざりつつある中、第35回スプリンターズSの時を迎えた。出走馬は12頭。スプリント路線を真っ直ぐ挑んできた者、マイルの舞台を経験してきた者。バラエティーに富んだメンツの中で、一番人気に推されたのは、前走の京成杯AHを1:31.5という日本レコードで快勝したゼンノエルシド。続いてディフェンディングチャンピオンのダイタクヤマトが、前年の最低人気から一転、2番人気。この年、新潟に創設された直千コースの重賞アイビスサマーダッシュの初代女王となったメジロダーリングが3番人気と続いた。

日本記録保持者、ディフェンディングチャンピオン、直千女王。この強力な3本の矢の陰に、春のスプリント王トロットスターは、すっかり隠れてしまっていた。安田記念で大敗を喫した後、ぶっつけ本番でこの舞台に挑んだ彼に、ファンはドライな査定を下したのだった。

鈍色のどんよりとした雲が空を覆う中、最強の韋駄天達の戦いが始まった。

スタートはまずまず揃った。ディフェンディングチャンピオンのダイタクヤマトと江田照男がハナを主張しようとした時、内からメジロダーリングと田中勝春がそれを制した。

しかし、間髪入れずに柴田善臣のユーワファルコンがメジロに接近すると、ラップタイムは1.7秒加速し、最初の400mを10.1秒で通過。まさに電撃戦といったタイムを計測し、レースは激しさを増していった。

先頭争いはメジロとユーワで収まったが、息をつく暇などなかった。ダイタクヤマト、松永幹夫とブレイクタイム、山田和広テネシーガールが、その直後に位置し、先行グループは激流と化していた。

人気のゼンノエルシドと横山典弘は、その先行集団を見ながら好位内目を進んでいた。これが初の電撃戦となる彼は、その流れに何とかして付いて行こうと必死だった。

春の王者はそれよりも後ろ。蛯名は忙しない流れの中でトロットスターの脚をジッと溜めた。唸りを上げ加速する先行集団が、前半の600mを32.5秒で通過する。このまま行けば、直線で見せ場が訪れそうな展開である。その隙を狙い、ダミスター産駒の牡馬と蛯名は、静かに牙を研いだ。

福永のビハインドザマスクが僅かに後ろだったが、その他の11頭の馬達は、全くの一団で最後の直線コースに入った。レースを引っ張ってきたユーワファルコン、ブレイクタイム、テネシーガールの脚色が早くも鈍り出す。好位から後方で溜めた馬に有利な流れだ。最後方付近にいた佐藤哲三とジョンカラノテガミにも勝機がチラついた。

しかし、先頭はメジロダーリング。直千女王は逞しい二の脚を繰り出し、後続を振り切りにかかる。それを目掛けて江田が来た。無理に主導権争いに加わらず、絶好位に潜んでいたダイタクヤマトが猛烈な勢いで迫ってきた。

残り200m。テンからぶっ飛ばしてきた韋駄天達の前に、高低差5.3mの中山の急坂が現れる。最後の一滴を振り絞り、最初に登坂を開始したのはメジロ。田中勝春の檄に応え、懸命に登る5歳牝馬。まだ脚はわずかに残っていた。しかし、勢いはダイタクだった。20世紀最後のスプリント王に君臨した、7歳の老雄が連覇へ向けて坂を駆け上る。完全に捕らえた、と思っとその時。内ラチ沿いに雷鳴が轟いた。

馬群を縫うように伸びていきたのはトロットスター。もがくゼンノエルシド、そして先頭で競り合っていたメジロとダイタクも一瞬で置き去りにし、あっという間に勝利を掴んだ。

春秋スプリントGⅠ連覇。フラワーパーク以来、史上2頭目の快挙を成し遂げた彼の勝ちタイムが、着順掲示板に灯る。

67.0秒。

新世紀早々に、バクシンオーの壁は崩れた。しかし、それは同時に、新たな壁の誕生の瞬間でもあった。

トロットスターの壁。

21世紀を迎え、15年の歳月が流れたが、まだ66秒台の世界へ突入した韋駄天は現れていない。

今年も強固な壁として、立ち塞がるか?それとも新たな壁が誕生するか?

50回目の節目を迎えるスプリンターズSを楽しみましょう。