【栄光の瞬間】第63回阪神ジュベナイルフィリーズ Joie de possibilités infinies

世界トップクラスの技術を駆使して、ザルカヴァやダラカニなど数えればキリがないくらいの名馬を栄光に導いてきたフランスのトップジョッキー、クリストフ・スミヨン。

卓越した才能を持っている彼だが、騎乗態度や過激な言動といった粗が目立ち、忌み嫌う人も多いらしい。どこの国か定かではないが、揉め事を起こし、その国では2度と騎乗しない。という、気性の激しいエピソードも存在している。

この激しい気性を有している、故にあの馬と息が合った。と私は思う。一方は騎乗拒否、もう一方はゴール入線後、騎手を振り落とす…。ヤツの子供達がデビューする時には、是非スミヨンに乗ってもらいたいものだ。

私は、何度も馬券を彼に助けられた事があるので、世間様が何と言おうとスミヨンのファンである。彼にとってJRA重賞初制覇となった2009年スワンS。キンシャサノキセキを華麗に導き、私のしがない懐を窮地から救ってくれたあの日は今でもよく覚えている。

彼は馬が大好きな男である。2010年ジャパンカップ。ブエナビスタに騎乗し、降着処分を受けたスミヨンは「罪を被るのは私だけでいい」と語り、翌年の同レースをブエナが制した時は、サラリンクスの上から優しく彼女の鼻面を撫でて、祝福していた。

ブエナビスタとの縁により、彼は同じくフランスを拠点に活躍するオリビエ同様、日本を愛するジョッキーの1人になっていた。

2011年3月11日。
突如、発生した大地震が、日本を襲った。前日まで明かりが灯っていた街、来る週末に思いを馳せていた人々の想い…。全てが無くなり、言葉に出来ない状況に陥った。

その時、スミヨンは遠く離れたUAEにジョッキーとして立っていた。そして、彼は感情を込めて、私達にメッセージを送っている。

日本大好き、愛している。

彼だけでなく、その日同じくジョッキーとしてドバイにいた世界中の名手が励ましてくれた。あの日ドバイで開かれた競馬を、私は死ぬまで忘れる事はないだろう。ブエナの鼻面を撫で、日本に襲いかかった悲しみを共に憂いた、日本を愛するこの男は、一頭のフィリーの名に、その想いを託した。

Joie de vivre.

フランス語で”生きる喜び”という意味を込められたフィリー、ジョワドヴィーヴル。父ディープインパクト、母ビワハイジ。所属は栗東の松田博資厩舎。

スミヨンも愛したブエナビスタの妹君にあたる彼女は、1.3倍の圧倒的な人気に応え、11月京都の新馬戦を、福永祐一に導かれ勝利。翌春、この才女が頂点に君臨するだろうと、誰もが想像した。

しかし、その想像は、暮れの仁川で早くも実現することになる。
15分の6という抽選を突破し、彼女は第63回阪神ジュベナイルフィリーズに挑んできた。

ファンファーレが鳴り、まだヨチヨチな牝馬達が指定された枠へ誘導される。イオリッツ・メンディザバル騎乗のアイムユアーズがゲート入りに手こずり、ジョワドヴィーヴルは後ろで待たされていた。

全体、何が気に入らないのか?アイムユアーズは、屈強なゲートマン達に押されても、ゲート入りを拒否し続ける。乙女の羞じらいを、乱暴にカメラが抜いていたその時、チラッとジョワドが見切れた。

僅かな時間だったが、シッカリとカメラ目線を決めた彼女を見て、私は単純に可愛いと思ってしまった。姉には申し訳ないが、顔立ちは妹の方が可愛いと思う。

ファンファーレから約2分後、全馬ゲートに収まり、翌春、さらにその先の輝かしい未来を目指し、18頭の少女達が師走の馬場へ飛び出した。

函館2歳S勝ち馬、ファインチョイスが内から主導権を奪うも、先団好位は、密集して息を入れにくい流れを作っていた。

ジョワドヴィーヴルは、その密集地帯からほんの少し後ろ。周りがガヤガヤと騒がしい中、420kgにも満たない小さな彼女は、マイペースを保ち静かに外目を走っていた。

密集馬群は遂に最後までバラけることなくそのまま直線へ入った。真ん中にいた武豊のサウンドオブハートが抜け出しを図る。

デビュー2年目から23年連続でGⅠを勝利してきた武も、この年はここまで未勝利。また、この名手が偉大な記録を打ち立てる。と思われたが、若くしてGⅠへ進んだ優秀なライバル達がそれを許さない。

小倉2歳Sを制したエピセアローム、枠入りを嫌ったアイムユアーズ、そしてここまでレースを引っ張ってきたファインチョイスが、しぶとく食いさがる。

年齢と性別に似合わない、熱苦しい攻防を繰り広げていたその時。大外から、小さな体を目一杯使い、トンデモナイ末脚で、ジョワドがやって来た。

瞬発力、キレ、鋭さ…全てが、他馬を凌駕していた。あっという間に坂を駆け上り、そのまま楽々と2歳女王へ君臨した。

大外から爆発し、一気に坂を駆け上って圧勝。

その勝ち方は、3年前に制した姉と全く同じだった。来春、桜が咲き誇る同じ舞台で再び輝き、堂々女王として、都へ上り樫の女王へ…。そして、姉が無念の涙を飲んだ秋桜の大輪を戴き、世界へ羽ばたいて行くだろう。

途方も無い夢だけど、この馬なら全て叶えてくれる。すっかり惚れ込んでしまった私は、翌年、全てをジョワドヴィーヴルに託すと手帳に記した。

生きる喜び。その価値基準は人によって千差万別だと思う。私は、例え丸坊主にされても、競馬の日を迎えるたびにそれを実感している。中でも、運良く名馬候補の逸材と遭遇した日などは、馬券の事を忘れてその出会いに無上の喜びを感じてしまう。

あの日、才気溢れる一頭のフィリーから、無上の喜びを確かに頂いた。残念ながら、手帳に記した夢は叶わなかったけれど、彼女を恨むつもりは毛頭ない。

唯一心残りなのは、ジョワドの子孫達と競馬場で会えないこと。

デビュー戦を勝利し、2戦目でいきなりGⅠを制したジョワドヴィーヴル。きっと子供達も末恐ろしい駿馬ばかりで、顔はベッピン、イケメンの子だったに違いない。と、私は今でも独り確信している。