【追憶の名馬面】ナリタブライアン

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1994年の年度代表馬、最優秀3歳牡馬の勲章を授与されたナリタブライアンは、京都の阪神大賞典に姿を現した。持ったままでアッサリ7馬身差つけたその勝ち方は、菊花賞で見せた走りを何百倍も強くした圧巻の走りだった。

全体、どこまで強くなるのか?

前年、思い描いた夢に、鮮やかな色彩が帯び始めた時、ナリタブライアンは悲鳴をあげた。

右股関節炎。全治2カ月の診断が下り春シーズンは休養となった。この怪我がまさか栄光からの転落をもたらすとは誰も思わなかっただろう…。

怪我を癒し、迎えた秋競馬。ナリタブライアンは、第112回天皇賞(秋)で復帰した。しかし、体調面や調整の過程が不安視され、決して万全の体制という訳ではなかった。その不安にプラス、四冠ロードを共に歩んだ南井克巳が負傷し、東のベテラン的場均に乗り替わりというアクシデントまで重なった。

それでもナリタブライアンである。こんな不安は、全く杞憂なものだった。とレース後、言えることを信じて、やはりファンは彼を一番人気に支持した。

しかし、あの強すぎたブライアンの姿は、そこには無かった。勝負所で肉食獣の様に、他馬に襲いかかる迫力も、芝生を根刮ぎ抉り取る、あの末脚も…。12着。デビュー以来、最低の着順に終わった。

休み明けを叩いて2戦目は、第15回ジャパンカップ。よく言われる一般論だと、状態は確実に上向く。とされている状況で、彼は世界戦に挑んだ。鞍上が的場から武豊に替わったことも、再びの栄光へ向かって背中を押す要素に加えられた。

だが、結果は6着。天皇賞と比較すれば良くなったと見ることも出来るが、真のナリタブライアンではないということは、誰が見ても明らかだった。

ナリタブライアンがナリタブライアンで無くなった。

今、目の前を走る馬は、ブライアンのイミテーションで、ホンモノはまだ休養している。あり得ない空想をしたくなるくらい、ナリタブライアンは変わってしまっていた。

12月24日。深い傷を負い、ボロボロになったブライアンは、第40回有馬記念に挑む。前年、日本競馬を支配し、世界を夢見たグランプリの舞台に、再び立ったナリタブライアンに対し、ファンは2番人気という査定を下した。もしも彼に最強馬としての自我が存在したならば、これほど屈辱的で寂しいことは無いだろう。