【追憶の名馬面】テイエムオーシャン

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覚醒した栗毛の皐月賞馬が、古馬戦線を支配した20世紀末の2000年。

その栗馬と同じく、桃、緑一本輪、袖黄縦縞という鮮やかな色彩を帯びた勝負服と、栗東・西浦勝一厩舎のトレードマークである、橙に水色の縞模様をあしらったメンコを纏い、テイエムオーシャンは競走馬としてデビューした。

1998年4月9日、浦河で誕生したオーシャンの父は、”欧州競馬界の宝”と讃えられたダンシングブレーヴ。母リヴァーガールは、現役時代500万下の条件馬だったが、その母は快速少女の異名をとった1985年の桜花賞馬エルプスという血統馬。

当時はサンデーサイレンス全盛期だったのでオーシャンが大々的に「良血馬」と騒がれることは無かったが、仔細に見てみると実に魅力的な血統背景を有したサラブレッドであるということが分かる。

馬券予想の材料として考える血統は深入りするとロクな目に合わないが、損得関係無しに、例えば酒の肴に血統を考える時などは、3大始祖まで遡るくらい深入りすると面白い。

ビカビカとハデな装いでターフに現れたオーシャンは、夏の札幌でデビュー戦、条件戦を連勝。勢い良く進んだ北のヤングチャンピオン決定戦・札幌2歳Sでは、後にダービー馬となるジャグルポケットと戦い3着に健闘した。

ただ単に外装がハデな馬。ではなく、"強くて"ハデな少女という評価を提げ、暮れの2歳GⅠ、第52回阪神3歳牝馬Sに挑んだ。

ゲートを出た直後は問題なかった。しかし、2コーナー前でスイッチが入ると、本田優が握る手綱を引きちぎらんばかりの荒っぽい走りに変わった。

他の14頭が淑やかに走る中で、一頭だけ暴走気味に走るテイエムオーシャンは、ついに3角前で先頭へ躍り出る。

道中これだけ掛かってしまうと終いは絶望的である。ただ、この暴れん坊少女は直線で加速した。勝負の場に淑やかさなんて必要ない。一頭だけ違う競馬を最後まで貫き通したオーシャンは、荒々しく世代最初の女王へ君臨した。

オペラオーフリークだった私は、またしてもテイエム軍団から強い馬が出た!と、狂喜したことを覚えている。

オーシャンの青春時代である2001年で、最も好きなレースは、第61回桜花賞。始動戦のチューリップ賞を快勝し、間違いなく彼女が桜の女王に君臨する。というムードが漂っていた。

仁川の桜は、桜花賞に合わせて満開になる様に育てられているという。生涯一度しか走ることが出来ない桜花賞。ならば、可能な限り美しい舞台を用意してやりたい。という、競馬会の姿勢には頭が下がる。この年の桜は、見事としか言い様のない満開だった。

その桜と同じく、綺麗なスタートを決めた1998年生まれの少女達は花舞台へ飛び出した。テンザンデザート、或いはタシロスプリングあたりが主導権争いに火花を散らす背後に、本田はオーシャンを付けさせた。

しかし、勝ち気な海の少女は暮れのJF同様、ベテランの制止を振り切る勢いで先頭の2騎に食らいついた。本田は背中を丸め手綱を引き、どうにかして抑えようとするが、オーシャンはグングンと進む。向こう正面に咲き誇る桜花を愛でる暇は、彼らにはなかった。

4角を回り直線。本田に解放のサインを送られたオーシャンは、あっという間に、逃げていたタシロスプリングを交わし去り、早々と抜け出した。

2馬身、3馬身とリードを広げたオーシャンと本田は、完璧な強さを観衆に見せつけ、桜花賞を制覇。本田にとってこの桜花賞は、デビュー21年目でようやく手に入れた初のクラシックタイトルとなった。

因みにこの時、私はオーシャンと共に、テンザンデザートも応援していた。このグリーンデザート産駒を管理していた調教師は栗東の岩元市三、そして鞍上は和田竜二。テイエムじゃなくてもこのコンビなら、と密かに期待したが、8着だった。

桜の下で圧巻の走りを見せ、勇躍挑んだ二冠目のオークスだったが、チョイと騒がしい気性が災いし、3着。1.8倍の単勝支持に応えることは出来なかった。

凱旋門賞馬の娘なら、血統的に府中の12F戦は余裕。という結論は正解だと思う。しかし、テシオやテイラーでも、確かな答えを弾出せなかったサラブレッドの血統。この分野に正解なんてモノは、存在しないのだろう。

そういえば同じダンシングブレーヴの娘で、同じく桜花賞を圧勝したキョウエイマーチも、オークスでは惨敗している。トニービンの子供達が府中好きだった様に、ダンシングブレーヴの娘達は、府中が嫌いだったのかもしれない。こういう要素に惑わされて、馬券が外れるんだよなぁ…。

夏を越し秋。春にクラシックで活躍した牝馬達は、紫苑やロースといったステップを経て、来る本番へ向かうのが通常だが、オーシャンはブッツケ本番で第6回秋華賞へ挑んだ。

春の騒がしい少女像から一転し、本田と息を合わせ、淀のターフを気持ち良さそうに走るオーシャンの姿があった。

フローラルグリーン、ハローサンライズに前を走られても、我、関せず。道中の走りは100点満点だった。こうなれば、結末は決まったも同然。持ったままで直線に入り、優さんからスパートの合図が送られると、卓越した瞬発力を披露し、堂々と先頭に立った。

後方でタメにタメたローズバドが内から急追してきたが、オーシャンの尻尾を捕らえることは出来なかった。長い夏休み。あれだけ喧しかった少女に、果たして何があったのだろうか?

ぶっつけ本番でGⅠ制覇。というオーシャンの破天荒な走りと共に、このレースを関西テレビで実況した石巻ゆうすけアナの叫びも、よく覚えている。

「146日振り、桜の女王が秋華賞を制しました!!」

ゴール入線後も、仕切りに「146日振り」のセリフを叫んでいたところを見ると、恐らく石巻アナは「オーシャンが勝つ。」と決めてかかり、マイクロフォン前にスタンバイしたのだと思う。実況アナたる者、要らぬ私情を挟まず、フラットに伝えなくてはならないが、私はこの時の彼の実況に対し、別段、嫌悪感を覚えない。むしろ馬券を握る我々と同じく、彼もまた一つ「博打をやったのだ」と考えると、親近感すら覚える。もしもこの時、オーシャンが負けていたら、せっかく調べた「146日振り」というデータは、お蔵入りになっていただろう。

クラシック2冠牝馬として挑んだ全世代の女王決定戦、第26回エリザベス女王杯は、JRAの狙い通り全世代の淑女達が野郎もビビる熾烈な争いを演じた。

オバ…姉さん達を抑え、一番人気に支持されたオーシャンは、直線でよく伸びたが5着に敗れた。ここで年上の姉貴達に食って掛かった少女は、ローズバド。小さな体を躍動させ、矢の如く飛んできた、この薔薇一族の娘については、項を改めて語りたい。

激動の青春時代を経て2002年、姐さんになったテイエムオーシャンが、初めて馬場へ出てきたのは、夏競馬の大一番、札幌記念だった。プラス38Kg、という大幅な馬体増で、このレースに挑んだ彼女は、誰が見ても明らかにパワーアップした。と確信できる走りを見せつけ、年下の少年とオジサン達を蹴散らした。

私は、この時のオーシャンに「馬の成長」を教えてもらった。数字は増えても馬体が引き締まっている。これが成長するということなのか。と学んだ経験は現在でもシッカリ覚えている。

しかし、馬券は当たらない。ただこれは、単純にテメェの馬券センスが欠落しているだけで、オーシャンは全く悪くない。一体、何を学んだんや!と、深く反省する次第である。

このパワーアップパフォーマンスを見せつけたことにより、秋の天皇賞では、一番人気に支持された。これは、あのエアグルーヴでも成し得なかった快挙である。結果こそ、13着だったが、ナリタトップロード、シンボリクリスエスらを抑えてトップの支持を得たという事実は誇るべきものだろう。

この天皇賞後は、ジャパンカップ、有馬記念と、秋の古馬三冠ロードを走り抜け、翌年の2003年も現役を続行。マイラーズカップ、マーメイドS、クイーンSで、3着、2着、2着と頑張ったが、秋華賞に続くGⅠタイトルには、蹄が届かなかった。もしも、この時代にヴィクトリアマイルが創設されていたなら、3つ目のティアラを頭上に戴いていた可能性は、かなり高かったと思う。

母になったのは2004年。現役時代に華やかな実績を残したので、良家のボンを婿に貰うところだが、多くのボン達が暮らす胆振地方とは縁がなかった。

初めての婿殿は、同門のテイエムオペラオー。同じテイエムの屋号を背負い、日本競馬界を制覇した彼との間に、3頭の子供を授かったが、いずれもパッとした成績を上げることは出来ていない。覇王と大海の女王の夫妻なら立派な子供が誕生するはずなのに…。

現在オペラオー、オーシャン夫妻の子で現役なのは、テイエムオペラドンという8歳の牡馬。母上、父上が、全く縁もゆかりも無かった障害戦で3勝しているオペラドン。両親の大ファンだった私としては、彼の活躍を祈らずにはいられない。

今現在、産駒には恵まれていないが、歴代の名牝と呼ばれる馬達同様、牡馬にも果敢に挑んだオーシャンは「名牝」として、次へ語り継がなくてはならない一頭だと思う。

色々調べながら、これを書いている時、素顔のオーシャンの写真に遭遇した。

めっちゃ可愛いやないか!

引退から14年経って、そのギャップにやられた私は、更にテイエムオーシャンが好きになってしまった。
今年で19歳。元気に暮らせよ!