【競馬】藤田伸二元騎手、引退してから今日で丸1年。

元騎手の藤田伸二の電撃引退から早いものでもう1年を過ぎた。引退のニュースを知って愕然したのがついこないだの出来事のように思え、時の流れの早さに切なくなる。

(藤田は「エージェント制度」に異論を唱え、昨年2015年9月6日にJRA騎手を現役引退。エージェント制度については『【競馬】男・藤田の引退を早めた"エージェント制度"、メリット・デメリットを考えてみる』を参照。)

藤田伸二とエージェントの植木靖雄氏の出会い。

もともとエージェント制度が本格導入される前、藤田はこう呟いていた。『営業マンのようにこの馬乗りませんかと言ってくるあざとい連中がいる』と。導入前から仲介をする人間をよく思っていなかったことがわかる言葉である。当時、藤田の騎乗レベルと成績ならそんな事をされなくても騎乗馬は自然と集まってきていた。騎手と調教師との繋がりは今では考えられないほど深かった。

しかしそんな藤田も一人のエージェントと出会い、心を許していくことになる。後に藤田のエージェントとなる植木靖雄である。植木は藤田をわが子の様に可愛がり、藤田に良い馬を確保してきてくれた。藤田も植木に絶大な信頼をおくことになる。

ヒルノダムールやトランセンドといったG1を勝てる強い騎乗馬にも恵まれた。トランセンドに乗っていた時には、ドバイ遠征時に飛行機の中でたまたま席が隣になったノースヒルマネジメントの前田氏から「うちの馬にも乗ってみないか?」と水を向けられ、快諾した流れもある。ジョッキーには運も重要だ。この様な人との出会いは意外と予期せぬ所であるもの。トランセンドはダート路線で活躍し、新設重賞にレパードSとみやこSを勝って新設重賞ハンターとして名を広めた。その後G1も制し、2011年ドバイワールドCではヴィクトワールピサの2着と大健闘した。

藤田が好成績を収める一方で、エージェントの植木はこの頃大きな病と闘っていた。症状は思ったよりも重く、末期癌であった。植木は病魔と闘い、2012年の春に天に導かれる。絶大な信頼をおいていた植木がいなくなり、藤田の成績はこの頃からガクンと下がっていく。G1勝ちはおろか、重賞勝ちも途絶えた。レースの成績以上に精神的な面でもエージェントである植木の存在は大きかった。

植木氏の死から4年。エージェント制度の今後はどうなっていく?

植木氏の死から3年後に引退した藤田。引退後、今日でちょうど1年が経つ。エージェント制度のシステムは今でも変わることなく続いているが、藤田が異を唱えたことでこの制度に疑問をもつ人も声も最近は増えてきているようだ。

騎手と調教師・厩舎とのつながりが深かった以前と違い、今は騎手への依頼というよりはエージェントグループへ依頼するといった方が正しい。実力の比較よりも、グループの人脈が優先される時代である。しかし、エージェント制度が出来て騎手側は騎乗馬の確保、厩舎側は騎手の確保がしやすくなり、互いに楽になったことも確かである。

藤田は引退時に我々競馬ファンに向けて、「エージェントにより、リーディングの順番が年頭から決まっているような世界。何か面白いのか?」と問いかけた。筆者も「もしエージェント制度が廃止されたら、一体どうなるんだろう?」と考えることはたまにある。もしかしたら藤田が言うような面白い競馬が見れるのかもしれない、とさえも思うことがある。

騎手としての活動は終了したが、最近はホームページなどの自身のメディアではもちろん、テレビやラジオなどでタレント的な活躍も見せている藤田。騎手としてではなく、藤田伸二という一人の男としてどう今後の競馬界を変えていってくれるのか。信頼していたエージェントの死がありながらも、それでもなおエージェント制度に異を唱える藤田騎手の今後から、ますます目を離せなそうだ。