紆余曲折を経て偉大なる種牡馬となったステイゴールド

正しく、今をときめく種牡馬ステイゴールド。現役時代は常に善戦ホースだった。血統的背景からある程度人気になるのだが、勝ちきれないレースが続いた。特にオープンに入ってからは重賞制覇のチャンスを何度も目前にしつつ勝てずにいた。そんな時に、主戦の熊沢騎手から目黒記念では、武豊騎手に乗り替わった。この日の府中競馬場は生憎の空模様だった。ステイゴールドは武豊騎手に導かれ見事重賞制覇を成し遂げた。

馬はほんの少しのきっかけで変わる。今度は重賞制覇をするとG1で中々結果がでないもどかしい競馬が続いた。重賞勝利化も見放され、もうステイゴールドはダメかと思った頃に後藤騎手で京都大賞典で1着入線も進路妨害で失格になってしまった。ステイゴールドは本当にめぐり合わせの悪い馬。一言で片づけるならこの言葉につきる。

しかし、ステイゴールドのファンは多かった。いつも最後少し足りないあたりが競馬ファンの心理を揺さぶった。強い馬はファンが多くて当然。ステイゴールドの評価は分かれるが、私は弱い馬だと思った事は1度もない。いつもステイゴールドは一生懸命に走っていた。その姿は忘れる事はできない。ステイゴールドはG1勝利がないまま最終戦を迎えた。舞台は香港。香港ヴァース(G1)最後の競争が国際G1である。ステイゴールドは最後怒涛の追い込みを決め、見事最終戦を飾りG1馬にもなった。やはりそこには武豊騎手がいた。

別に熊沢騎手を批判するつもりは毛頭ないが、武豊騎手が主戦騎手だったらステイゴールドの競争馬としての成績は大きく違ったことだろう。