宝塚記念で見せたゴールドシップの姿から競馬ファンの位置付けを考えてみる

最近の競馬を見ていて、競馬ファンとはどのような位置付けにいるのかと考えることが多くなりました。そう思うようになったキッカケとも言えるレースが、2015年の宝塚記念。単勝オッズ1.9倍のゴールドシップが大出遅れをやらかしたあのレースです。

大きく出遅れたことは仕方がないことです。馬自身が掴みどころのないタイプだということは競馬ファンは知っていたわけですし、スターターのタイミングが間違えていたのでは?とも言われましたが、あのままゴールドシップだけを待っていたら他の馬にも影響があった可能性もあるわけですから、それも大した問題だとは思いません。

何よりも一番の問題は、騎手のレース運びでしょう。1.9倍ということは、それだけのお金が動いたということ。GIであれだけ出遅れては勝負にならないことは馬券を買っていたファンもわかっていたこととはいえ、途中で動く素振りもなく、最後もまったく追うシーンもなしでは、さすがに納得できないでしょう。

無理だとはいえ、どうにかしてやるという気迫、気概を持ってこそプロのはず。ダメ元で無茶をするよりも次また頑張ればいいじゃないかという声もありますが、それは純粋なスポーツの話であって、競馬の根底にはギャンブルという要素があるわけです。この時のゴールドシップに全財産を賭けていた人もいたかもしれない。なのに、レース後のコメントで「これがあの馬の個性だから」なんてコメントを残されても、ああそうですかとは言えないでしょう。

こんな話を聞いたことがあります。単勝一番人気の馬がレースではまったく動かなかった。敗因がつかめず、腑に落ちなかったジョッキーが厩務員さんに聞いてみたら、中間に熱発して調整が上手くいかなかったと。そんな話はファンからしたら寝耳に水。現に一番人気に支持されていたわけですから、コメントもいいことしか書いていなかったわけです。

これは個人的な推測という前提で書きますが、はっきりいって、競馬関係者は競馬ファンのことなんて、これっぽちも重要視していないと思います。ファンあっての競馬ですからなんて心地の良い言葉を並べたところで、結局は自分たちさえ良ければいいじゃないかという風習。いつまでたっても、やっぱり競馬サークルは村社会というわけです。

最近では、ばんえい競馬の不祥事も大きな問題となりました。あんな話はどこの競馬場にあってもおかしくない話でしょう。異常オッズなんて頻繁に目にしますし、不当に配当が安いケースも多々見受けられます。仕方がないこととはいえ、ファンが完全に外部である今の仕組みに少しでも変化があればと願うのは私だけでしょうか。