02年の安田記念の勝ち馬アドマイヤコジーン、亡くなる

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’98年の朝日杯3歳Sを優勝しG1初制覇を果たし、'02年には今は亡き後藤浩輝騎手とのコンビで安田記念を優勝したG1・2勝馬のアドマイヤコジーンが、6日朝に亡くなったことが明らかとなった。種牡馬として繋養されていたクラウン日高牧場で死亡が確認された。21歳だった。

アドマイヤコジーンがデビューしたのは'98年10月の3歳新馬戦。同年の朝日杯3歳Sで早々にG1馬となり注目を集めたが、以降は掲示板外のレースが続き、6歳の年の東京新聞杯で勝利するまで約3年以上も勝ち星をあげれず、長い間スランプに陥っていた。

約3年ぶりの勝利をあげた東京新聞杯で手綱を握っていたのは'15年に亡くなった後藤浩輝騎手だ。不調続きの馬にテン乗りで10番人気と人気を落としていたが、低評価を覆し見事復活Vを果たした。その後も後藤騎手とのコンビで続く阪急杯を勝利し、高松宮記念で2着、安田記念で1着、スプリンターズSで2着と完全復活を果たした。時期が時期なだけに、今は亡き後藤騎手とともに大舞台での復活Vを果たした安田記念を思い浮かべ、感慨深くなるファンも少なくないだろう。

同年の年末に香港で開催された香港マイル(4着)を最後に引退し、種牡馬入りした。その後はアストンマーチャンやスノードラゴンなどのG1を送り出し、種牡馬としても功績を残した。産駒の特徴としては自身と同様に、短距離戦で活躍するスプリンターが多かった。2015年4月10日付で種牡馬登録を抹消し、その後は日高町門別のクラウン日高牧場で功労馬として余生を送っていた。

自身が制した安田記念を見送るようにして亡くなったアドマイヤコジーン。天国でも元気に駆けてもらいたいものです。心からご冥福をお祈りします。アドマイヤコジーン号、お疲れ様でした。