JRA通算1918勝を挙げ、重賞93勝、うちGⅠ17勝という功績を残して藤田伸二騎手(43)は現役を引退した。
藤田騎手と言えば'96年にフサイチコンコルドでダービーを勝ち、若干24歳という若さでダービーを制した実力派ジョッキーである。当時から「天才」と言われていた武豊騎手よりも2年早くダービーを獲っているのだ。昔から大舞台に強い騎手であることや、フェアプレー賞の歴代最多受賞者(16回)であること、その風貌やストレートな言動、筋の通った男らしい性格から「男・藤田」の愛称で親しまれていた。そんな男・藤田が43歳という若さで現役を引退した理由は一体なぜだろうか?先輩である武豊騎手(46)や蛯名正義騎手(46)らがまだリーディング上位を争っていることを考えると、早すぎる引退のように感じる。そんな藤田の引退を早めた起因の一つとして挙げられるのが「エージェント制度の導入」である。
「エージェント制度」とは?
「エージェント制度」といういうのは正式には騎乗依頼仲介者(きじょういらいちゅうかいしゃ)と言い、騎手と契約した代理人が騎手に代わって厩舎回りをしながら、どのレースに、どの馬を、誰に乗せるかを決めるしくみのことを言う。競馬新聞の記者(トラックマン)や、スポーツ新聞の競馬担当記者など、競馬マスコミに関係することで厩舎に出入りができて、また騎手とも接点を持っている人物が大半を占めている。
エージェント制度のメリット・デメリット
このエージェント制度が導入される'06年までは、騎手は自身で厩舎回りをして、自身でスケジュール管理をしていた。強い馬に乗せてもらうために騎手自身が営業に出ていたのだ。
確かにエージェント制度があれば騎手は騎乗依頼の処理に追われることも無くなり「馬に騎乗すること」に集中できるし、何より合理的である。この制度により「成績の良い騎手は強いをまわしてもらえる」という原則が確立されたのだ。
ただ、合理的であることが必ずしも正しいとは限らない。一見合理的に見えることも、見方によっては不合理であることだってある。この制度に関して藤田は彼の自署「騎手の一分」(講談社現代新書)でもたびたび取り上げ批判している。
エージェント制度が導入される前は騎手と厩舎や馬主の人間関係が良くも悪くも濃密であったことは確かである。間に仲介が入ればそこが希薄になるのは当たり前である。このことは藤田もよく言っていたが、とくに「若い騎手が育たない」と嘆くことが多かった。若手の騎手が厩舎回りをして人間関係を作っていくことで、厩舎や馬主もまた「若い騎手を育てよう」という気運が出て、それに対して若い騎手は応えようと必死に成長していく。
エージェント制度が導入された今は、あっさり外国人騎手やベテラン騎手への乗り替わりが起こるため、「負ければすぐに乗り替わりになってしまう・・・」という気持ちから目先の勝ちばかりを気にするようになり、思い切った騎乗ができなくなってきているというのだ。
エージェント制度はそういった人間関係のしがらみなどを騎手が気にする必要が無くなったので、騎手の負担をなくすメリットはあるが、藤田の主張する通りであるならば、そのエージェント制度が競馬自体の面白みや魅力を薄れさせてしまうことになる。そうなってしまっては元も子もない。
「競馬の予想紙のトラックマンが騎乗依頼の仲介をするということ自体が公正競馬に反しているのでは?」という声も実際に競馬ファンの間ではよく議題にあがっている。騎手の成績と直接的な利害関係を持つエージェントを務めるのが「騎手の評価・評判を強力に誘導できる競馬マスコミ内部の人」であることに疑問を示す競馬ファンも少なくないのではないだろうか。
一千勝以上した騎手、引退式もせず静かに去る
藤田は9月6日、札幌競馬騎乗を最後に「騎手免許取消願」をJRA裁決委員に渡し、それを受理したJRAが7日に正式に引退を発表した。
レースが終わって「退職届」を出してそのままマスコミには「マスコミにしゃべるつもりはない。ファンに直接発信する。」とだけ語り、帰宅した。競馬ポータルサイトの「UMAJIN(ウマジン)」に藤田直筆の長文で引退への想いとファンへの想いを綴っている。そこにはエージェント制度によりリーディングの順番が年頭から決まっているような競馬会に対して「何が面白いのか?」と不満をあげ、競馬に対するモチベーションが無くなってしまったという心情を明かしている。最後に応援してくれたファンへ感謝の気持ちを述べるとともに、これからは違うかたちで恩返しをしていきたいと綴って自身の騎手人生を締めくくった。
一枚の手書きの文書をネットでのみ配信し、通算一千勝以上しているダービージョッキーが引退式もせず静かに去っていった。これまで様々なかたちで競馬業界を騒がせてきた男なだけに、その静かすぎる引退が競馬会に波紋を呼びそうだ。