追憶の名馬面・エガオヲミセテ

はじめまして。本日より競馬ヘッドラインに寄稿させていただく、辺見と申します。以後、よろしくお願い致します。毎週、一頭の名馬を取り上げて、エッセイを寄稿させていただこうと考えています。

栄えある1頭目は、名前が可愛かったエガオヲミセテ。それでは、稚拙な文章では、ありますがお話をお楽しみ下さい。

エガオヲミセテ(父サンデーサイレンス 母カーリーエンジェル BMSジャッジアンジェルーチ)

餅と蛸を食べたい、と願う男がいた。海老餅があるならタコ餅があっても不思議じゃない。というか何でもいいから腹に収めたい。フッと懐を覗けば、燻んだ10円玉と白くなった1円玉が数枚。これでは、餅も蛸も買えない。男は、商人にゴマを擦って、何とか件のブツを手に入れようと思い立った。何の取り柄もない、凡が200個ほど並ぶボンクラ人間の男だが「ゴマを擦って何とかする」という情けない渡世術を駆使して、今日までのらりくらりと生きてきた。時にはお巡りさんの世話になったこともあった。しかし、これでいいのだ、とあっけらかんと開き直り、「前科」という有難くないお土産を終始ぶら下げて、浮世に漂っている。

フラフラ歩いていると、ロバに荷車を引かせた商人見つけた。

「餅と蛸をくださいな。おや?このロバはいいロバですね!きっと血統ロバに違いない。私には分かりますよ。男らしい立派な耳もイイなぁ。こんな素晴らしいロバを見抜いた貴方、いや社長はもっと素晴らしい!」

男は得意のゴマスリをボサッとした商人に仕掛けた。すると商人は、表情も声色も変えずに、ボソッと男に呟いた。

「うちはパン屋です。餅と蛸が食べたいなら、市場にでも行ってください。あと、このロバはメンタだ。」

パン屋の親父は、パートナーであるロバに水を与えると、ノンビリ去って行った。

ロバのパン屋ってか…ナンデヤネン!

奇妙なイントネーションの、エセ関西弁を叫び、男はガックリとうな垂れ、途方に暮れた。夕日に向かってトボトボと、影を伸ばしながら歩いている時、急に旅に出よう!と思い立った。ここでは、皆、俺の事をゴマスリ男と煙たがる。こんな人情もクソもない街、コッチから願い下げだ!馬鹿野郎!

全く勝手な動機で、男はフランスへ旅立った。おフランスでも、ゴマを擦り生きようと思っていたが、異国の空気は、腐った男の性格を変えた。異国で改心したゴマスリ男は、森林保護の為に、ひたすら汗を流し、木を植え続けた。行政から怒られそうになった時は、ゴマを擦って取り繕い、また木を植えた。男の姿を見た、村の長が、男に新たな愛称を与えた。木を植えた男。後に、フランスで一番有名な男になるのだが、苗木を愛でる男は、まだその事を知らない…。

この稚拙な文中には、実際に競馬場で走っていた馬の名前が、盛り込まれています。普通、馬の名前を繋ぎ合わせて文章を作る、という事は、誰もやらないでしょうし、仮にやろうと思っても、昨今の小洒落た名前では、なかなか難しい作業です。しかし、小田切有一オーナーの所有馬なら、その難しい作業も、容易く出来てしまいます。氏が愛馬に与える名前は、英語やフランス語の意味が美しかったり、響きがカッコイイ言葉ではなく、読んでクスッと笑ってしまうギャグ的な名前から、古き良き日本の風景にちなんだ名前ばかりです。私は、小田切オーナーの事を、競馬界で一番オモロイホースマン、と思っています。

そんなバラエティーに富んだ小田切ホース軍団の中でも、特に人気があったエガオヲミセテ。父は大種牡馬サンデーサイレンス、母のカーリーエンジェルはダイナカールの2番目の娘、エアグルーヴのお姉ちゃんにあたります。血統だけみると、このアーモンド色のフィリーは、日本競馬の最高峰クラスの良血馬、と言えますね。私が、もし馬主で、この様な良血馬を所有したら、意味も分からないのに、背伸びしてカッコイイ名前を付けてしまうでしょう。小田切氏は、良血馬でも関係なく、自身のセンスに従い名を与えた。このあたりに、ただのオモロイ馬主、ではなく、立派な信念を持った馬主、という事を見出せます。

そんな素敵な名前を戴いた彼女は1997年11月、京都競馬場でデビューしました。人気は一番人気。この人気には、血統的な評価、武豊騎乗という馬券的評価にプラス、親しみやすく面白い名前が支持されたと考えます。私で馬券を取ってエガオヲミセテ下さい。綺麗に収まるもんなぁ(笑)しかし、彼女は15着に沈みます。それを見たウマキチは、笑顔では無く泣き顔で、馬券を握り潰した事でしょうね。

ただ、同月の折り返しの新馬戦(懐かしい言葉!)でキッチリと初勝利を決め、初めて競馬場に笑顔を届けました。3歳時は、この2戦のみで、条件戦や重賞に使わず、翌年の大舞台を目指すため、レースを休みました。

競馬場に笑顔が戻ってきたのは、1998年の春、阪神競馬場でした。彼女が選択したレースは、忘れな草賞。桜花賞はパスして、お婆ちゃんが勝ったオークスを目指す事にした。藤田伸二鞍上で挑むも9着。小さな青い花、ミオソティスはお気に召さなかったらしい。

いわゆる叩き2走目となったのは、オークストライアルのスイートピーS。ここで権利を取らなくては、オークスへは出走できない。青い花は嫌いだけど、薄桃色のスイートピーの花は気に入った様で、柴田善臣と仲良く花を摘み、頭上にスイートピーの冠を載せて、彼女はオークスへ挑みました。

ニコニコと果敢に先行し、4コーナーも手応え良く回り直線へ。明るい5月の日差しが、アーモンド色の馬体を照らした。ところが、スイートピーの冠が、ピューっと風に吹かれ飛んで行ったのか、坂前で脱落…。勝ったエリモエクセルには、気に入らない!と摘まなかったミオソティスの青い花の冠があった。もしも、あそこで摘んでいればなぁ…。

満を持して挑んだ夢舞台は涙の舞台。これでは納得出来ないし悔しい。何とか勲章を、と願う彼女は、また阪神競馬場にやって来た。梅雨明け間際の、蒸し暑い仁川には、人魚になりたい!と願う同性のお姉さん馬達が列をなしていた。唯一の4歳馬だった年下の彼女は、51kgという軽量を活かし3着に食い込んだ。タイム差はコンマ2秒。大健闘と言ってもいい内容でした。勝ったのはランフォザドリーム。鞍上にはダンディなオジサンがいました。

渇望するタイトルは目の前まで来ている。実りある秋を迎えるために、シッカリ夏休みを満喫したエガオヲミセテの秋緒戦は、秋華賞だった。調整が思うように行かなかった為に、ブッツケ本番で最後の一冠に挑むことになりました。受験生と若いサラブレッドは、夏を順調に越さなくてはなりません。しかし、それが至難の技である、ということを、私は競馬を見て悟りました。受験生、そして若駒諸君!夏だよ夏。この短い期間は、現を抜かさず、集中しましょう。

順調さを欠いた状態の彼女でしたが、オークス同様、果敢に先行し、4角では完全に抜け出せる手応え。直線は、コーナーワークで半馬身ほど先頭に立ちます。しかし、外から桜の冠を載せたライバルが競りかけて来た。初勝利をプレゼントしてくれた豊さんは、鬼となり彼女を競り負かそうとしました。必死に応戦するも、やられてしまった。後方から鋭く伸びてきたナリタルナパークにも交わされ3着。GIで3着なら立派なもんですが、「順調だったら勝てたレース」での3着は苦いものです。サクラとコスモス、そしてファレノプシス。1つくらい、花冠をくれてもいいのに…。

秋華賞の次はエリザベス女王杯へ。多くの4歳馬が初めて走るお姉さん達に圧倒される中、彼女は飄々としていたと思います。夏に会ったランフォザドリーム姉さんやメジロランバダ姉さんとは既に顔見知り。二度負かされたエリモエクセルに、少し威張っていたかな?
しかし、いくら顔見知りでもレースでは別。4歳の少女達は、姉さん達にボコボコにされてしまいました。1~4着を5歳、6歳牝馬が独占。勝ったのはべっぴんのメジロドーベルさん、ランフォザドリーム姉さんが2着で、3着に入ったのがエアグルーヴ。親戚のおばさんも、レースでは鬼でした。彼女は9着。ちょうど1年前、同じ場所で走り出した馬が、GIを年間3レース走る馬になる。メインレースだけでなく、午前中の平場、特に新馬戦は、如何なるメンツでもシッカリ瞼に焼き付けておかなくてはならない、という事を、この事実から改めて感じました。

体調不良だった秋ですが、GIを2走、共に1.0秒差以内に好走したエガオヲミセテ。徐々に体調が持ち直していったのでしょう。無言の上り調子の中で迎えた、1998年12月20日。舞台は、夏に人魚になり損ねた阪神競馬場。夏は茹だるように暑く、冬は凍えるように寒い、極端な競馬場に、若い姉ちゃんから色っぽい姉さん達が集結した。特別な牝馬になる為に、師走の戦いが始まった。

パーンっと飛び出したのは桜色のメンコを付けたキョウエイマーチ。再び仁川で桜を咲かすべく、逃げの手に出た。エガオヲミセテは、番手位置作戦を採らず、3,4番手の外目を追走。前を行くライバルを全て見られる絶好位だ。その内から、不気味に忍び寄ってきたのが、エリモエクセルと的場。怖いおじさんに睨まれるも、背中の若造、高橋亮は怯まず、手綱をプラプラとさせ、リラックスして走りな、と彼女へ指示を送り続けた。4コーナー、内にいたエクセルは後退。的場が優しくも厳しい檄を飛ばしたが、栗毛の少女は応えなかった。一方、エガオヲミセテは、やはり抜群の手応えで、キョウエイマーチを早くも捕えた。

直線に向く。キョウエイマーチが、女王の意地を見せ粘るも、その横をニコニコと、アーモンド色のフィリーが駆け抜けて行った。

『先頭はエガオヲミセテ!先頭はエガオヲミセテ!』

実況アナが彼女の名前を連呼する。先頭はエガオヲミセテ…先頭は笑顔を見せて!小田切ホースの味わい深さは、実況の電波に乗った時に現れます(笑)

GI馬2頭と姉さん達を振り払った彼女は、ついに重賞タイトルを獲得し、クソ寒い師走の仁川は、笑顔に包まれました。後方で、ランフォザドリーム姉さんもオメデトウと叫んでいたと思います。

次の歓喜の訪れは早かった。1999年、少女から姉さんになった彼女は、京都牝馬特別を8着し、成馬式を済ますと、また阪神競馬場にやって来た。舞台も同じ1600m。しかし、今度はお姉さんだけでなく、おっさん達も相手にしなくてはならない。中でもマチカネフクキタルというオヤジは、かつて菊花賞を制したタフなオヤジ。かなりの強敵だった。

手練のおっさんを負かすには、手練のおっさんで。彼女の背中に現れたのは、夏に見たダンディなオジサン、河内洋だった。洋オジサンは、そこらへんでクダを巻いているオッさんとはレベルが違う。数多のヒロイン達をエスコートしてきた、かっこいいオジサンなのだ。河内のエスコートなら、菊花賞を制した栗毛のオヤジにも…。

雨の降る中、マイラーズカップのゲートが開いた。ポンと飛び出したのは、キョウエイマーチ。今度こそ、桜を…とマーチは、ハナに立った。私は、この頃のキョウエイマーチの逃げを見ていると苦しくなる。桜花賞で見せた可憐な逃げ脚ではなく、逃げないとやられる!という悲壮感が漂った逃げ脚を見て、あの可愛いマーチが…となってしまうのだ。
必死に逃げるマーチ姉さんの後ろ、ラチ沿いピッタリのロス皆無の位置に付けた河内とエガオヲミセテは、前を見ながら余裕の追走。前方の馬が蹴り上げる泥塊がぶつかっても、怯まなかった。4コーナー、静かな進軍を開始していた、彼女は、キョウエイマーチのすぐ後ろに付け、出口付近ギリギリのところで、スッと外へ持ち出された。この時の河内の手綱捌きはカッコよかった。

直線は、馬場のど真ん中を堂々と進み先頭へ。マーチが粘る。同じ天気で行われた桜舞台では、一気にドーベル以下を突き離したが、桜もない、ただ雨が降るだけの阪神のマイルには、苦しさしかなかった。年下の小娘に、2度、しかも同じ舞台で負ける…。桜花賞馬にとっては、屈辱的敗戦だったでしょう。そんなマーチの涙を浴びることなく、彼女はトップでゴール板へ飛び込んだ。雨天でもよく分かる笑顔を見せながら…。

重賞2勝目を挙げ、いよいよ良血の才能が満開になると、思われましたが、マイラーズカップ以降、なかなか勝てない日々が続きました。それでも、牝馬限定戦では、シッカリ上位に食い込み、一流の姉さんの地位は守っていた。99年エリザベス女王杯は、メジロドーベルから0.2秒差の3着に来ていましたね。

2000年1月30日。彼女は東京新聞杯を走り14着と大敗してしまいました。音無師は、何とか復活を…と願い彼女を一度放牧へ出し、リセットする計画を立てた。ノンビリとした休暇を過ごすべく、彼女は宮城県の山元トレーニングセンターへ出発しました。

2000年2月11日。私は、この日、山元トレーニングセンターで起こった事故の写真が忘れられない。黒く焦げた木材、濛々と立ち込める薄い白煙…。記憶から消したいですが、なかなか…。発生した時刻は、未明とされています。恐らく、まだ外は太陽が昇る前で真っ暗。馬は早起きな動物なので、暗くても既に起きて、身の回りの世話をしてくれる、最も信頼を寄せる人間達を、首を出して待っていた馬もいたことでしょう。
しかし、首を出して耳を傾けクルクル回していた彼らは、その日の朝陽を拝むことが出来なかった。努めてボンヤリと、キツイモザイクを掛けて、ほんの僅か、1秒間、その場面を想っただけでも、目頭が熱くなります…この事に関しては、これ以上は辛くて書けません。亡くなった馬達が、今も空の上でノンビリと過ごせていますように…。

音無厩舎は悲しみのどん底へ突き落とされた。待てど暮らせど祈れど、彼女は帰って来ない。そんな彼らを勇気付けたのは、小田切だった。2月11日の後、小田切は音無厩舎に愛馬を預けた。その名はゲンキヲダシテ。小田切だけではない。厩舎の馬達も、音無厩舎のホースマンを元気付けようと必死に頑張った。惨敗続きだった老馬、ユーセイトップランは、死力を振り絞って、東京の3400m戦、ダイヤモンドSを見事に勝利した。トップラン爺やは、この勝利が約1年ぶりの白星でした。
2006年、小田切の所有馬、音無厩舎所属の栗毛の牡馬が、高松宮記念を勝った。栗毛の男は、亡くなった彼女の弟。名は、オレハマッテルゼ。

私は勝手に解釈した。
あの事故の悲しみが癒えないファンはまだ居る。そんなファンを小田切は、持ち前のセンスで元気付けようとした。

オレハマッテルゼ。君たちが、また競馬場でエガオヲミセテくれることを。