【追憶の名馬面】オグリキャップ

人類皆平等、というが仔細に観察すると、大なり小なり、差は存在している。

貧富の差、頭脳の差、魅力の差…。色々あるそれを意識した時「頑張って差を埋めよう!」と努力する者と「馬鹿野郎、クソッタレめ…」と荒む者に分かれる。

常に楽して生きたい、と願うボンクラな私は、もちろん後者。秀でた人々を、ひたすらやっかみ、酒を飲んでクダを巻いて荒んでいる。やれやれ、我ながら本当に救いようがない、と情けなく思う次第である。

この差を優劣という言葉に置き換えて考えると、優に存在する者達は、意外や意外、人気が出ない。贅沢な話だが、大衆は完全無欠よりも、僅かにキズがあったり、ダメな面がある方を愛する傾向にあるらしい。

特に、優の者達を完膚なきまで叩きのめす劣者なんてのは、文句ナシで大衆の心を鷲掴みにし、スーパーヒーローとして祭り上げられていく。

我々が暮らす人間社会では、滅多にお目にかかれないこのスーパーヒーロー現象も、競馬の世界なら容易く見ることが出来る。

一般的に、中央より劣ると言われている公営競馬から殴り込んできたハイセイコーは、競馬とは全く関係ない少年誌の表紙を飾り、ファンレターまで貰うヒーローになった。

少し違うかもしれないけど、無敵の皇帝シンボリルドルフを、1985年の天皇賞秋で負かしたギャロップダイナにも、ヒーローの気質があった。

しかし、ハイセイコーよりもギャロップダイナよりも、大衆の心を掴んだのは、昭和末期から平成初期の競馬場を駆け抜けた芦毛馬、オグリキャップだったと思う。

今回は、この灰色のスーパーヒーローを振りかえってみたい。

オグリキャップの出身地

出はハイセイコーと同じく公営だが、都心部にある大井とは違い、オグリの故郷は、岐阜の笠松競馬場。

豪華絢爛なスタンドもイルミネーションも無いけど、裏手には木曽川が流れ、年季の入ったスタンドには、創設時から、しがないウマキチの腹を満たし続けてきたグルメがある、長閑で温かな、THE公営競馬場といった場所から、オグリの物語は始まった。

東海地方を圧倒的な強さで駆け回った彼が、中央競馬へ乗り込んできたのは、1888年の春。移籍初戦となったペガサスSを制覇すると、そこからまた連勝街道を荒々しく驀進。バケモノじみた走りを魅せつける芦毛馬を見たファンは熱狂し始め、ホースマン達は、この馬がクラシックに出ていたら…と冷や汗を流したことだろう。

東海地方から天下統一を目論み、鬼神のごとく進軍した織田信長の様に突き進む、血気盛んなオグリに、初めてライバルが現れた。

同じ毛色のタマモクロス。歩みは遅かったが、ゆっくり着実に成長してきた彼は、4歳の秋に覚醒すると、重賞タイトルを総ナメにする勢いで、一気に頂点へ駆け上った。

その両雄が相見えた、第98回天皇賞秋。一番人気はオグリだった。中央の生え抜きで、今日まで、めげずにやってきたタマモクロスからすれば、堪ったものではないだろう。

オグリ側から見れば、大衆が、遅咲きのエリートではなく、庶民の怪物くんを選んだ瞬間だった、と見ることができる。

レースは、レジェンドテイオーと郷原が引っ張る流れ。直線に入っても、レジェンドの脚色は鈍らなかったが、坂でタマモクロスと南井が一気に捕まえた。

オグリは、それを見てスパート。しかし、前を行くタマモクロスの脚は、全く止まらない。猛獣の如く、襲いかかったが1馬身差の2着に敗れた。タマモクロスは、史上初の天皇賞春秋連覇、という偉業を成し遂げ、王座を守った。

久しぶりに敗戦の苦汁を味わったオグリだったが、吐き出したくなる苦味をグッと飲み干し、彼は、もう一段階上の闘争心に火を点けた。

「全員、打ち負かしてやる…。オレが一番強い!」馬がこんな事を考える訳が無い、と思うけど、この敗戦後の彼を見ると、そう思わざるを得ない。

まずはタマモクロスを…と燃え盛る芦毛のサラブレッドは、ジャパンカップで首を取る、と意気込むも、アメリカのペイザバトラー、そしてまたしてもタマモクロスに及ばず3着。これを見た私の頭の中では、馬房でクソッ!と怒るオグリの姿が思い浮かんだ。

立て続けに苦汁を飲まされたオグリの前に出された三杯目は、絶品の銘酒だった。第33回有馬記念。

「一戦限り」の条件で手綱を取った岡部幸雄に導かれ、遂に中央のGIレースを制覇。競馬なんて知らない、という人でも買うと言われる、有馬記念が初GIという事実が、持って生まれたスター性を如実に表している気がする。これで、オグリキャップの名前は、日本全国に広まった。

古馬になってからのオグリキャップ

古馬になったオグリは、大阪杯から始動し天皇賞春、安田記念、宝塚記念と、全てのカテゴリーを征圧する青写真を描いたが、右前脚の繋靭帯を痛め、春シーズンは全休。野望成就は秋に持ち越された。

ひとっ風呂浴び怪我を癒して、復活の時を迎えた1989年の秋。

南井克巳鞍上で、オールカマーに挑んだ風呂上がりの怪物は、公営の怪物女ことロジータ以下を、アッサリ退け勝利。ここから、常識では考えられないローテを歩むことになる。

オールカマーVに続き挑んだ毎日王冠。ここでイナリワンと見せた激闘は、彼のレースの中でも、人気が高い。共に"マル地"。彼らしか持っていない、底知れぬパワーを披露したレースだった。

昨年の忘れ物、秋の盾を戴きに挑んだ節目の第100回天皇賞秋は、ファイター南井が烈火の如くムチを入れるもエンジンが掛からなかった。オグリが伸びあぐねる間に、内から抜け出したのは、同い年のスーパークリークと武豊。

クビ差まで追い詰めるも、結果はまたもや2着。

古馬王道路線を歩むなら、次はジャパンカップだが、オグリはマイルチャンピオンシップに現れた。

春のマイル王、バンブーメモリーを差し置いて1.3倍の支持を集めた怪物だったが、流れに乗れず、もがいていた。それとは対照的に、バンブーはスムーズ。

直線、最初に抜け出したのはバンブー。オグリと南井は、そのバンブーの内へ潜り込んだ。

逃げるバンブー。内から闘志剥き出しで迫るオグリ。3位以下を大きく引き離し、繰り広げられた接戦は、ハナ差、オグリキャップに軍配が上がった。

激戦の余韻が残ったまま、連闘で挑んだジャパンカップ。

ここでもオグリは、燃え盛った。相手はニュージーランドのホーリックス。

オサリバンが荒ぶる風車ムチを入れる外から、オグリが来た。負けじとムチを入れる日本の豪腕、南井。それにガッシリ応える連闘のオグリ。日本の人馬も荒々しく迫ったが、クビ差及ばなかった。

勝ちタイムは2.22:2。ホーリックスとオグリが叩き出したタイムは、芝2400mの世界レコード。負けはしたが、記録にも記憶にも残る一戦となった。

競馬場を駆け抜けるサラブレッドは馬主が代表者として所有しているので、外野の我々がとやかく言う権限はない。故に、このバケモノローテーションも、彼の馬主が選択したことなので、別段文句を言うことはないが、ただ一つ、オグリに「よく頑張ったね。」と労いの言葉を贈りたい。エライ馬やね、この馬は…。

敗れはしたものの、掉尾の有馬記念まで、歯を食いしばり駆け抜けたオグリ。もうこの頃になると、彼はウマキチの手から離れ、全ての人に愛されるスーパーヒーロー、というかアイドル的な存在になっていた。

その象徴として挙げるなら縫いぐるみだろうか。緑や黄色のメンコを装着した、布のオグリキャップは、白物家電の様に、一家に一オグリ、といった感じで、家庭に浸透した。

加熱するオグリブームが更に火力を増したのは、休養明け初戦となった年の安田記念。鞍上は南井から武豊へバトンタッチ。流星の如く現れた若き天才ジョッキーとの初コンビ結成の一報は、大衆のテンションが否が応でも高めた。

単枠指定を受けたオグリキャップと武は、3番手グループを進んだ。道中、彼らに絡んでいったのが、シンウインド。鞍上が、かつての盟友、南井克巳だったというのも面白い。

直線、堂々と先頭に立つと、桁違いの馬力を見せつけ他馬を突き放した。

岡部のヤエノムテキが猛追するも、アイドルコンビの影を踏むことは出来なかった。

レコードタイムで、3つ目のタイトルを手にした彼は、獲得賞金額でシンボリルドルフを上回り、日本一金持ちのサラブレッドに君臨した。

アイドルホースの挫折

北から南までオグリオグリな状態は、競馬界に大きな恩恵をもたらした。バブル景気も相まって、中央公営問わず、競馬界の売り上げは青天井で推移し、馬産地では活発な売買が繰り広げられた。現代競馬の絶頂期は、この時期だった、と私は考えている。もし、ブームと景気が急降下せず、細く長く推移していれば、今頃、日本には何カ所、競馬場があっただろうか?と思うと、少し寂しくなる。

話をオグリに戻そう。陣営は、宝塚記念を勝ってアメリカへ遠征するプランを披露した。

笠松から中央、そして世界へ。このマンガみたいなサクセスストーリーを誰もが実現すると信じていたが、オサイチジョージと丸山に、一世一代の逃走劇を喰らい2着。これまでは敗れても接戦だったが、この時の着差は、3馬身半差。完敗の二文字がのしかかる敗戦だった。

まさかの敗戦。ベタベタなウマキチなら、まぁ競馬やからね、と涙に暮れ、次の土曜日の1Rを何食わぬ顔で迎えられるけど、アイドルとしてオグリキャップを見ているた人々は、泣き叫び困惑した。

オグリが負けるなんて信じられない!

薄っぺらい知識で構成された怒りの矛を一身に浴びたのは、武豊を超える!と騒がれていた若手の岡潤一郎だった。

オグリ敗戦を見たマスコミは、手のひらを返したように、ジュンペーを非難した。これが後に、ジュンペーの闘志に火を点けるターニングポイントになるのだが、それはまた別の機会に…。

ジュンペーに火が灯った時、鞍下にいた芦毛の馬の闘志は、風前の灯火に変わってしまっていた。アメリカンドリームは夢の彼方へ消え、ややトーンダウンして迎えた秋。

ベテラン増沢末夫とコンビを組み、天皇賞秋、ジャパンカップを戦うも、惨敗。その走りは、別馬にでもなってしまたかの様な、悲しいものだった。

移ろいやすい大衆は「オグリは終わった」と、一人、また一人とオグリから離れていった。

失意の中、迎えた第35回有馬記念。オグリにとって、最後となるレースの手綱を任されたのは、武豊。二度目のコンタクトとなる天才がオグリを復活させるか?

物語は、巧拙問わずフィナーレに向かう頃が、一番盛り上がる。

しかし、万感の終結になるとは限らない。こと、競馬の物語は、誰も的確な結末を予想する事が出来ないもので、結末を演出する事が出来るのは、馬場を走る馬だけだ。

野芝が枯れ、まるで黄金の絨毯が敷かれたようなコースになった師走の中山。

ファンに選ばれた16頭の精鋭達が、空っ風を切り裂いて、一斉に馬場へ飛び出した。

各馬のドラマの集結へ

各馬、まずまず揃ったスタート。牽制し合う主導権争いを制したのは、オサイチジョージと丸山。グランプリ連覇へ向けて、彼らは春と同じ逃げ戦法に打って出た。

続いてメジロアルダン、盾を制し復活したヤエノムテキがその後ろに付け、先行集団を形成した。オグリと武は、外目の5, 6番手。前をシッカリ見られる絶好位に付けていた。

1周目4コーナーを回り、最初のホームストレッチ。

万人の観衆は、地鳴りの様な歓声を上げた。この光景を見て、恐らく一番喜んでいたのは、有馬頼寧氏だったと思う。

「ファンの競馬」を確立させた偉人も、空の上で、歓声を送っていたに違いない。

オサイチジョージがスローに引っ張る流れは、後続各馬を苛立たせた。少しでも折り合いを欠けば、勝機が消える。名手クラスのジョッキー達が、必死に馬を御する最中、オグリだけは、涼しい顔で走っていた。

武は手綱をプラプラと弛ませ、相棒を気の向くままに駆けさせる。これまで潜ってきた修羅場での経験は、この時、最大の武器になっていた。

バックストレッチに入ると、もう堪らん、と動いたのは、ミスターシクレノンと松永幹夫。それを見た各馬も、俺も俺も、と動き出す。

レースが動き始めた。外目にいたオグリは、やはり涼しげに、スーッと外から捲るように浮上を開始。あと50秒足らずで全てが終わる。有終の美を飾り、終わることが出来るなら、こんなに良いことはない。

2周目4コーナー。最後のコーナを回った時、傾いた西陽が、芦毛の馬を一瞬だけ照らした。

残り310m。スタンドの影に覆われた最後の直線は薄暗かったけど、それを掻き消すかのように大歓声が響き渡った。

内でオサイチジョージが必死に抵抗する外から来た。オグリがグングン伸びて来た。一瞬で突き放す往年のパワーは無い。しかし、今まで見たことが無い、魂の激走を彼は見せつけた。

粘るオサイチをオグリが交わす。春の雪辱を、きっちり果たした彼は、高低差2.2mの急坂を必死に登った。

悲鳴に似た歓声のボルテージが、振り切れるくらい上がった時、彼方から怒号が飛んできた。それは、いつも優しく馬を解説する紳士の叫びだった。

「ライアン!ライアン!」

振り向くと、次世代を担う若馬、メジロライアンと横山がオグリに迫ってきた。

しかし、その日競馬場にいた人、テレビやラジオでグランプリを見守った人、全てに背中を押され、万感のフィナーレを迎えようとしていた、老雄の怪物には、関係なかった。

最後のウイニングポストをトップで通過したのは、オグリキャップ。

人々は熱狂し、去りゆく彼の名前をしばらく叫び続けていた。

全く彼は、憎たらしい役者である。最後に、こんな劇的な結末を用意しているなんて…。

どんな名脚本家でも書けないシナリオを、事も無げにやってしまうサラブレッド達。それを傍で、見守れる競馬ファンと言われる人々は、幸せ者だと思う。

次の物語は、いつどこで始まるのか?

出来ることなら、その物語の中に居たい、と私は願う。