原点はイギリス。”異端児”藤沢和雄調教師の競馬論

原点はイギリスで学んだ競馬論

藤沢師は1973年に22歳でイギリスのニューマーケットに留学し、プリチャード・ゴードン調教師が運営する厩舎に4年間厩務員として務めた。

木村幸治著の「馬は知っていたか」(祥伝社黄金文庫)で、藤沢師が語る言葉で以下のような言葉がある。

「正直言います。なぜ勝てるのかわかりませんが、ただ馬の訴えがわかる人間でありたいとおもいます。イギリスにいた4年間、一人のガールフレンドもいなかったから、僕の唯一の友だちは師匠(P.ゴードン調教師)から任された2頭の担当馬でした。」

「一生懸命、そして親密に馬たちと接しました。僕がいくら下手な英語で話しかけても、馬たちだけは下手くそと言って笑うことはなかったし、僕の話したことを理解してくれました。それが僕の今の厩舎経営の基本となっています。」

さらに藤沢師自身が著者の「競走馬私論―プロの仕事とやる気について」(祥伝社黄金文庫)では、イギリスにてジョン・マギーという同僚にかけられた一言について以下のように記している。

「ハッピーピープル・メイク・ハッピーホース-いつもおおらかに笑っていられる人間が幸せな馬を作れる。ジョン・マギーの言葉に、私はある種のカルチャー・ショックを受けた。自分に最も欠けていることを明確に、しかも一言で指摘されて、目の覚める思いがした」。

藤沢師が言う馬の訴えがわかる人間でありたいということは競馬業界に携わる人間であるなら誰しもが見習ってもらいたい姿勢。そしていつもおおらかに笑っていられる人間が幸せな馬を作れるというマギー氏の言葉。馬と接する機会が多い人にはぜひとも強く意識してもらいたい言葉である。

藤沢師がイギリスで学んだことは今の調教方法に大きく取り入れられており、人間の都合に合わせて馬を飼育していることを否定した彼のスタイルは当時は散々陰口を叩かれたが、今では「スーパートレーナー」「レジェンド」と呼ばれるまでになった。