【追憶の名馬面】アグネスフライト - 1/3

拝啓、アグネスフライト様

何を思ったのか、ある時、自分が読みたい競馬の話を書きたくなった。書きたくなった、とは言うものの、秀でた文才も知識も無いので、思いついた言葉と知っている情報だけを繋ぎ合わせて、書き始めました。

最初のうちは、目も当てられない稚拙な文章でしたが、回を重ねるごとに、まぁ読めなくは無いな、と、ほんの少しだけ納得できるものが書けるようになりました。馬的に例えるなら、晩成型といったところでしょうか?

これまで書かせていただいたサラブレッド達を数えると、短編長編を合わせ、三桁は超えている。もし、彼らがいなければ、私の脳みそは生涯腐ったままだった、と考えると、感謝の言葉しかありません。ありがとう、お馬さん。

そんな我流競馬エッセイで、初めて取り上げた馬は、アグネスフライトでした。久しぶりに読み返してみると、フライトが耳背負って怒る様な酷い出来栄えで、読んでいて恥ずかしくなりました。僅かにレベルアップした今、そのアグネスフライトの足跡を、改めて振り返り、アグネスフライト?ああ"タキオンの兄貴"か。と、弟君が先に浮かんでしまう皆様にも、フライト兄の魅力を伝えたいと思います。

父は大種牡馬サンデーサイレンス、母は1990年の桜花賞を制したアグネスフローラ、祖母には、こちらもアグネスの冠を戴き、1979年のオークスを制したアグネスレディ。アグネスの結晶とサンデーサイレンスの荒々しい血が融合し、1997年に産まれたフライトは、祖父ロイヤルスキーと同じ栗色の被毛に包まれた少年でした。アグネス3世代クラシック制覇へ。栗色の少年は、名家を継承する使命を背負わされた。

時同じく、同じ社台ファームで、同じサンデーサイレンスを父に持つ少年が産まれた。姉にクラシックで惜敗の涙を流し続けたエアデジャヴーがいる、青鹿毛の少年には、大舞台で姉の無念を晴らす使命を背負わされた。栗色の少年と青鹿毛の少年。後に死闘を演じることになるとは、産まれたばかりの無垢な彼らが知る由もなかった。

1999年、彼は競走馬アグネスフライトとして、母を育て上げた栗東の長浜博之厩舎へ入厩しました。長浜厩舎とアグネス。となれば、馬上にいる男は1人しかいない。

河内洋。

馬乗りの技術、社会人としての振る舞い…と、全ての人が兄貴の様に慕う男が、憚りもなく欲を剥き出して手に入れたいと願うものがあった。

河内洋が欲を剥き出しにしてでも手に入れたかったもの