【追憶の名馬面】キンツェム

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その走りを見てみたい!と望んでも、130年も前のレースなのでもちろんレース映像なんてものは無い。故に、この馬の走りをクリアに表現することは出来ないが、様々な史料を調べてみたところ、走りのフォームと癖を知ることが出来た。

連戦連勝を支えたその走りは、首をグイッと下げ地面を這うような走りだったと伝えられている。日本の馬でイメージするならタイキブリザードが近いかも知れない。
列車好きのエピソードが示す通り、頭の良かった彼女は、10馬身以上離して勝つことはなかった。ハナ差でも大差でも勝ちは勝ち。無駄な労力は使わない主義を貫いた。
その代わり、レース直前まで大好物のヒナギクを探すことに全力を懸けた。草摘みに夢中で、何度かスタートを失敗しているが、成績が示す通り、ヒナギク採りの影響は全くなかった。

花しか咲かなかった青春時代が終わり1878年。かつて見た目の醜さから相手にされなかった馬は、ウマキチ達の心を鷲掴みにし、人々はヨハネス・ブラームスの名曲「ハンガリー戯曲」に掛けて「ハンガリーの奇跡」という愛称を贈った。
加熱するキンツェムフィーバーを、あの貴族さんはどの様な心境で見ていたのだろうか?また、あの泥棒氏は小汚い酒場で何を語っていたのだろうか…?競馬とは直接関係無いが、この部分は気になるところである。

英雄と化した彼女は、更に強さを増してゆく。4月22日のウィーンで行われたエレフヌンクスレネン(ドイツ圏のレース名は実に愉快だ)から始動すると、5月30日のウィーン、シュタット賞まで9連勝。
27連勝した馬が、9連勝したところで別段驚く様な話ではないが、1ヶ月の間に9連勝である。
恐る恐る、その内訳を調べると、中3日(!)や中2日(!!)といった気狂い染みたローテを歩んでいた事が分かった。

これで飄々と勝ってしまうキンツェム。いやはや、もう言葉もあるまい…。

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