【追憶の名馬面】ベガ

主役として東を目指すことになったベガだったが、初めての長距離輸送が堪え、発熱や食欲不振に陥った。人気になる馬は、些細な欠点でも大きなマイナス材料とされる。女王候補筆頭になった彼女にも、方々で不安説が囁かれた。

1993年5月23日。第54回優駿牝馬競走。ベガは一番人気だったが、3.4倍。戦前に囁かれた不安説を、ファンが信じた結果、一気に波乱も有り得るかも知れない、という状況に変わっていた。背中の上にいる天才は、この状況を訝しんだ。彼女が初勝利を挙げ日、オークスを勝てる、と確信した彼には、この時、自信しかなかったからだ。

やや薄曇りの空の下、1989年世代の女王を決める戦いが始まった。大外のワコーチカコ橋本広喜が、外へ寄れてしまったが、その他の各馬はまずまずのスタートを決める。内からユキノビジンがハナに立つ素振りを見せたが、ヤマヒサローレルと南井克巳は譲らなかった。持ち味を発揮出来ず、悔し涙を流した桜の雪辱を、樫の舞台で晴らさんと、彼女はハナを叩いた。ベガは、やはりその先行争いを、シッカリ見られる絶好位。前で必死にやり合う同期生を、彼女は、どういう思いで見ていたのだろうか?

修羅場を売りにするドラマなら、高飛車なお嬢様が見下す、という安いモノが思い浮かぶが、ベガは、何方かと言えば、お嬢様というより、どこにでもいそうな少女、といった感じがするので、このシナリオは無しだ。

逃るヤマヒサローレル。その走りは、ようやくスポットライトを当ててもらったヒロイン、といった感じだった。番手以降は、コバノフラッシュ田面木博公、ユキノビジン、ベガと4番手までは、大体1馬身間隔での追走。ベガから後ろは、ギッチリと密集し、野郎には無い熱気が漂っていた。

ポツポツ、ギュッ…と隊列を組む彼女達だったが、折り合いを欠いて騒ぐ者はいなかった。この部分に、優雅な女の戦い、を見出せる。静かに罵り合う。この場合、ヒステリックに喚けば負けなのだ。
勝負所まで、静かに静かに一団は進んでいった。

欅の前を過ぎる。ここからは、誰も経験したことが無い未知の世界。いの一番に、そこへ飛び込んだヤマヒサローレルは、後退し始めた。

先頭で逃げられて満足だったか?それとも、最後まで先頭に居たかったか?これはローレルに聞かなければ分からない。

そのヤマヒサローレルを、先に交わしたのはユキノビジン。水沢から上京して来た少女と、ベテランの安田。温かみを感じる素朴なコンビが、栄光を手にしたい、という願いを屠る流星が、外から流れて来た。

武は内にいるユキノに、ベガの馬体を併せた。坂で繰り広げられる接戦からは、可憐な少女の姿を想起することは出来ない。

生きるか?死ぬか?

生命を賭して戦うサラブレッドの姿があるだけだった。

ダラダラと続く坂を登りきった時、ベガは、静かな末脚を繰り出し、スッと抜け出した。

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