【追憶の名馬面】ジャングルポケット
2000年
札幌で初勝利を挙げ、勢いそのまま、札幌3歳Sを制し、早々と重賞のタイトルを手にする。しかし、その大器の片鱗振りが、余計に人々の幻想を掻き立てていった。
この馬は間違いなく、クラシックに主役として挑むだろう。ようやくあの馬の…。
私も、ジャングルポケットに対して、あの馬の姿を重ねた一人である。ただ、今思い返せば、少し可哀想なことをした。
精一杯走って、重賞を勝ったのにジャングルを祝わなかった。彼に対して失礼極まりない行為をやらかしてしまった事は、15年経った今、深く反省する次第である。
馬場で競い合うライバルにプラス、知らねえ馬の幻と戦うジャングルポケットの前に、バケモノみたいな同胞が現れたのは、その年の暮れだった。
第17回ラジオたんぱ杯3歳S。ジャングルは、北のヤングチャンピオンとしてこの出世レースに挑んだ。しかし、前方を逞しく進軍していた白い蒸気船は交わしたものの、黄金の光速粒子は影すら踏めず2着に敗れた。
全く歯が立たなかったが、それでも逸材という評価には変わりなく、来る21世紀のクラシック戦線の主役として名を連ねたまま、彼は多感な青春時代へ突入した。
年と世紀が変わった2001年。
ジャングルポケットは、ダービーが行われる府中の重賞、共同通信杯から始動した。
このレースの直線で見せた、彼の走りは忘れられない。先に抜け出したエイシンスペンサーらを、大外から荒々しく捕らえ、独走劇を演じた。普通に評価すれば強い勝ち方となる走りっぷりだったが、彼は何故かスタンドの方角へ顔を向け走っていた。その姿はまるで我々ウマキチに何かを叫んでいる様な姿だった。
オイ!お前ら!よく覚えておけ。俺はジャングルポケットだ!
クラシックシーズンが近づくに連れヒートアップする「幻が晴れるか否か?」の議論を、彼自身が一喝し、勇躍、皐月の舞台へ乗り込んだ。
2001年4月15日、第61回皐月賞。
府中で荒ぶる強さを披露したジャングルポケットも、この舞台ではサブキャラの扱いを受けた。主役は、前年暮れの仁川で、異次元の強さを見せつけたアグネスタキオン。極悪の馬場で行われた、弥生賞を楽勝し、ここへ臨んで来た光速粒子は、歴代2位となる59.4%の単勝支持率を背に、堂々主役として中山のターフに立った。
ロマンチストで気の移ろいが激しいウマキチは、この時、ジャングルポケットを包んだ幻の事を忘れ"アグネスタキオンが三冠馬になる"という別の幻に熱い視線を注いでいた。