【追憶の名馬面】ジャングルポケット
ゲートが開く。と、同時に一頭、落馬寸前のスタートを切った馬がいた。
最内枠にいたジャングルポケットだ。鞍上の角田晃一が、真っ逆さまに馬場へ叩きつけられる寸前の発馬をやらかした。彼の皐月賞はこの時半分終わってしまった。やや折り合いを欠きながら中団後方を進み、4角大外まくりという豪快な戦法で、早々と抜け出そうとする光速の粒子に迫ったが、及ばず3着。敗れはしたものの、追い上げてくる時の脚は、強さを十二分に感じさせるものだった。しかし、懸命に追い上げた彼のことを、気にかける者は少なかった。
アグネスタキオンまず一冠!
公正、公平に事実を伝えなくてはならない媒体までもが、まだ欠片しか見えていないタキオンの三冠物語の虜になっていた。その位、アグネスタキオンという駿馬は、魅力に富んでいたのだ。
21世紀の日本競馬界に、初めて幻が生まれたのは、ダービーを間近に控えた、5月2日のことだった。
アグネスタキオン故障。ダービー断念。
あの馬と同じく、屈腱炎のクソ野郎は、タキオンにも牙を剥いた。結局これが原因となり、黄金色の光速粒子は、大きな、途轍もなく大きな可能性を秘めたまま、ターフに別れを告げた。
絶対的な主役が消えた68回目のダービーは、一気に群雄割拠の様相を呈し始める。
白羽の矢を立てられたのは、ジャングルポケットだった。しかし、この時、例の幻を重ねられたロマン的観点からではなく、父トニービンの府中適性と自身の能力を買われて。という、何とも現実的な観点からの支持だった。
ダービーの日。デビュー来から自身を覆っていた幻が消え失せた。ここを勝てば、68代目のダービー馬として、その名は確実に残る…。
曇り空の下、21世紀最初のダービーのゲートが開いた。
ハナを叩いたのは、テイエムサウスポーと和田竜二。1~2角までに番手以降を引き離し、彼らは大逃げの策に打って出た。人気どころのジャングルポケット、クロフネ、ダンツフレームは、1000m通過が58.4秒というハイペースに動じることなく、中団で脚を溜めた。
気風の良い大逃げを披露したテイエムサウスポーが直線入り口で脱落すると、抜け出してきたのはもう一頭の外国産馬ルゼルと後藤浩輝。更に外から江田照男鞍上の11番人気馬ダンシングカラーも良い伸び脚を繰り出す。
3強は揃って大外へ進路を取った。先に抜け出そうとしたのはクロフネと武豊。しかし、前走のマイルカップで見せた豪脚は鳴りを潜め、伸び脚は無かった。その外から、舌をグルングルンと回しやって来たのはジャングルポケット。角田晃一の檄に応え、荒々しく府中の坂を駆け上った。
懸命に追う角田。後ろからは河内に乗り替わったダンツフレームがジワリ、ジワリと差を詰めてくる。しかし、全てを振り払わんとする男達は誰も寄せ付けなかった。
マル外開放元年、新時代のダービーを制したジャングルポケットと角田晃一。
勝者のみに許される逆回りの並み足で、彼らは再びスタンド前に現れた。ゴール板付近に差し掛かった時、なりたてホヤホヤのダービー馬が突如雄叫びを上げた。
勝ったのは俺だ!フジキセキじゃない!!
ジャングルポケット、そしてフジキセキのオーナーだった齊藤四方司が、顔をくしゃくしゃにして角田と握手を交わす。そして同じく、両馬を育て上げた調教師で、角田にとって師匠にあたる渡辺栄とは、やや照れ臭そうに互いを讃えあった。いつの時も同じ、ダービー特有の歓喜の瞬間が緑の芝生の上で繰り広げられ、21世紀初の祭典は無事に幕を閉じた。