【追憶の名馬面】ナリタブライアン

© Ozizo

まだ、見捨てないで…。最強馬のオーラが失せ、悲壮感に苛まれたブライアンは、今出せる力を懸命に振り絞り走ったが、年下の同じブライアンズタイム産駒に、全く歯が立たなかった。

私は、後年、雑誌やビデオでナリタブライアンを知ったが、この1995年秋の彼の姿は、あまりにも痛々しく、見ていられなかった。犬くんや猫さんという伴侶動物と違い、経済動物のグループに入るサラブレッドなので、可哀想に…とは、あまり思わなかったが、それ以上に、強烈な悔しさを感じた。栄光からの転落ほど、虚しいことはない。

昔話を語らなくては、自分を表せない。というのは、実に情けない状況だ。

昔は強かった。昔は金持ちでモテモテだった…。

じゃあ今は?と聞かれると、言葉に詰まる。こんな泣きたくなる様な状況下に置かれたナリタブライアンは1996年、前年と同じく阪神大賞典から始動した。最大の敵は、暮れのグランプリで完膚なきまでに叩きのめされた年下のマヤノトップガン。この時のブライアンを見て、最強馬の決戦。という表現は、些か不適切な感は否めないが、このレースを見るために、土曜にもかかわらず、仁川には5万人の観衆が詰めかけた。

菊で大逃げを打ったスティールキャストが、後続を引き離さず、番手以下を転がすオトナの逃げを展開。マヤノトップガンはそれを見ながら3番手。眩い輝きを放つ栗毛の斜め後ろに、武はナリタブライアンを導いた。完全マークの構えである。

2周目の3角前、マヤノトップガンが動いた。“自分が主役になる”時代へ向かって、離陸を開始したジェット機を目掛けて、ブライアンが来た。勝負所の3~4角。ノーザンポラリスが僅かな抵抗を見せたが、2頭の視界には映らなかった。トップガン田原、ブライアン武。2頭の駿馬と、2人の名手を除いて、世界は色を失った。

内トップガン、外ブライアン。がっぷり四つの攻防が始まった。

トップガンが首から半馬身ほど前へ出る。それに対し、必死に食い下がるブライアン。クビ差以上のリードは許さなかった。馬上では、芸術品の様な騎乗フォームで馬を御する名手、田原成貴と武豊も攻防を繰り広げていた。激しい叩き合いになっても、2人のフォームは微動だにしなかった。

坂の上り。武が右鞭を入れた時、鞍下の最強馬に、闘志の焔が灯った。他馬を喰い殺す様な、あの恐ろしい闘志が、ほんの少しブライアンに戻った。首をグッと下げ、トップガンを飲み込む。ゴールまであと100m、両馬の馬体が完全に重なった。GⅠの様な歓声が、土曜の仁川に響き渡る。

ラスト30m。フッと前へ出たのは、シャドーロールの男だった。GⅠを勝ってもクールなガッツポーズしかしない武が、入線後、右手を握りしめ、小さなガッツポーズを見せた。

ナリタブライアンが1年振りに勝利した、この第44回阪神大賞典は「平成の名勝負」として必ず紹介される。しかし、ブライアンをこよなく愛した大川慶次郎氏に言わせれば、これは名勝負でも何でもないという。氏曰く、全盛期のブライアンなら、何馬身も差を付けて圧勝していた。クビ差の勝利などブライアンじゃない。

また、トップガンに騎乗していた田原成貴も、これを名勝負と騒ぐことに対し、疑問を呈している。玉三郎は「もしも、ブライアンが本調子なら、トップガンは、スタンドへ吹っ飛ばされていた。」と、後年語っていた。

私は、このレースを「感動の競馬」と考えている。大川氏の言う様に、僅差の勝ち方なんて、確かにナリタブライアンのやる事ではない。しかし、僅差でもエエから勝つんや!という、ブライアンの執念を見た様な気がする。最強馬が昔日の栄光を全て捨てて、勝ちに行った。こんなレースが出来るサラブレッドは、後にも先にもナリタブライアンしかいないと思う。

良いレースを見せてもらった。

この時のブライアンに言葉をかけるなら、この一言だけで良い。