【追憶の名馬面】ナリタブライアン

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賛否両論ある中で復活の狼煙をあげたブライアンは、第113回天皇賞(春)に主役として臨んだ。背中には、こちらも復活したファイター・南井克巳。最強コンビで、6つ目の王冠を目指したが、遅咲きの桜に、満開の花を咲かされ、2着に敗れた。

天皇賞(春)で好走した古馬の次走は、宝塚記念と相場が決まっている。しかし、ナリタブライアンは、この年装いを改めスプリントのGⅠに進化した高松宮杯に出てきた。ヒヨッコ時代に1200mを走っているが、その時とは状況も立場も違う。この異例の参戦は、またまた方々で批評が飛び交う火種になった。

結果は、懸命の追い込みを見せるも4着。久しく走っていなかった6Fの激流の中で、よく頑張ったね。と褒めてやりたい。このブライアン宮杯参戦について、公然の場で激怒したのは大川慶次郎だった。

強い馬はどの距離でも強い。という前時代の使い方をしていては、日本の競馬は進歩しない。という論評をかなり強い口調で断言していた。先生は、自身が執筆された名馬関連の本に、よくナリタブライアンの事を書かれていた。その中でも、同じ様な批判の言葉を綴っていたのを見ると、ナリタブライアンを好き過ぎるが故に、本気でお怒りになっていらっしゃったのだろう。

このレース後に屈腱炎を発症して、ナリタブライアンはターフを去る。それを考えると、何となく後味が悪い幕引きだった感は否めない。個人的には、最後の競馬の鞍上が南井ではなく武だった。という部分にも寂しさを感じる。

引退後、国内史上最高価格となる20億円のシンジケートが組まれ、ナリタブライアンは父になった。繋用先は、生まれ故郷新冠のCBスタッド。国内で実績を残した名牝から、良血輸入馬まで、ベッピンの嫁さん達が、彼の元へ嫁いだ。胆振地方に押され気味だった日高の救世主になって欲しい。と期待されていたが、1998年9月27日、胃が破裂し、8歳という若さでナリタブライアンは亡くなった。後世に残した世代は、わずか2世代。

嫁さん達の良血っぷりから考えると、もし、生きていれば、かつてライバル関係にあったマヤノトップガンと共に、SS軍団に立ち向かうスタリオンとして活躍していたはずで、自身を彷彿とさせるチルドレン達を、確実に競馬場へ送り込んできた。と私は確信している。しかし、亡くなったのが8歳とは。あまりにも早過ぎる…。

ブライアン以降、牡馬の三冠馬は2頭誕生した。ある者はブライアンを超え、史上2頭目の無敗の三冠馬となり、英雄と称えられた。またある者は、強烈な個性を有し、荒々しく三冠を制し、ブライアンと同じく3歳四冠の偉業を達成した。しかし、ナリタブライアンという馬は、三冠制覇から23年経った今でも、最も人気のあるサラブレッドとして、人々に愛されている。

理由はファンが100人いれば、100通りの理由があると思う。私は、先に触れた後輩達も好きだが、どれか一頭だけ選べと言われれば、ナリタブライアンを指名する。地球上に存在したサラブレッドが挑んでも敵わない圧倒的な強さと、ドン底で見せた意地。激しい浮き沈みの中で、懸命に走り抜いた、この完全無欠ではない姿は、どう見ても嫌いになれない。どのシーンを見ても、ブライアンは格好良いサラブレッドだった。これだけは、胸を張って断言出来る。

後学だが、この馬が生きた時を知れた事は、競馬ファンとして誇りに思う。そして、来たる次の時代に、彼の様なサラブレッドが誕生する事を、心から楽しみに待っていたい。
(マイネルハニーや、爺ちゃんにGⅠタイトルをプレゼントしてやっておくれ。)