男・藤田伸二の生き様。

藤田伸二の本名は別なのは皆様も御存知だと思う。色々と訳があってここではその問題についてはこれ以上探求はしない。皆さんから見て、藤田伸二と言う男はどのように見えただろうか?私は最初はヤンチャな騎手と言うイメージを持った。実際にヤンチャな面は随所に見せた。

しかし、その反面でファンから絶大な人気を誇っていたのも事実。調教師・馬主とのいざこざは絶えなかったが、常にファンに対しては感謝していた。ブログを開設するなど、少しでもファンとの距離を短縮するべく努力もし、企画でファンとビールを一緒に飲むと言う破天荒な企画にも積極的だった。藤田騎手は9月6日に電撃引退した。これには驚いたファンも多かっただろうが、私は薄々感じてはいた。

藤田騎手はエージェントを最初は物凄く毛嫌いしていた。『資格が存在しない事を良い事に営業をかけてくる新聞記者がいる。自分の仕事だけしとけばいい。余計な事はするな』と正しく一刀両断。しかし、そんな事を言っていられるのも少しの間だった。藤田騎手には敏腕エージェント植木靖夫(日刊競馬)氏がついた。エージェントの中での力はトップレベルで、小原氏(競馬ブック)に次ぐ人物だった。おかげで、騎乗馬にも恵まれた。藤田騎手は植木氏を親の様に慕っていた。しかし、その植木氏が病に倒れる。病状は深刻で末期癌だった。既に手遅れの状態で植木氏は志し半ばに他界した。あの藤田騎手が号泣した。そして、植木氏が他界した後、藤田騎手の成績は急降下。その後1度も重賞を勝つ事無く静かに鞭をおいた。

札幌市内で現在はバーを経営している。恐らく、お客さんの大半は競馬ファンだろうが、藤田騎手は競馬の話はしたくないのが本音だ。少しは外野でいたい。現実にはこれからはずっと外野にいるだろう。どんなにテレビ局がG1デーに出演依頼をしても断るのは容易に想像できる。1度決めたら最後まで貫き通すそれが藤田伸二の流儀である。

最後に藤田騎手らしいエピソードがある、時は遡る事。13年前2003年の夏の新潟での出来事。その日藤田騎手は新潟で騎乗し、騎乗が終ったあと、ある雑誌の企画で新潟市内の料亭にいた。最初は和やかなムードだったが、ある人物が余りにも当たり前の事を何度も聞くので、藤田騎手は怒り、危うくちゃぶ台返しする所だった。最後はまた飲もうねーと笑顔で別れたが、やはり藤田伸二と言う男は腹を割って話さないと、いけない相手である。今後は現在のお店が繁盛するのを祈るのみだ。