今なお称賛される最強馬、ミホノブルボンが死亡
22日、二冠馬ミホノブルボンが老衰のため死亡したことが23日に分かった。ミホノブルボンは1992年の皐月賞とダービーを制したマグニテュード産駒の逃げ馬。ハードな調教内容や機械のように正確なペースで逃げのスタイルなどから、「サイボーグ」「坂路の申し子」「栗毛の超特急」など数々の異名で呼ばれた名馬だ。
しかし骨折など度重なる脚部不安に悩まされ、1992年の菊花賞(2着)を最後に現役を引退し、引退後は種牡馬として生活した。2012年に種牡馬を引退してからは生産者の原口圭二の義理の息子が経営するスマイルファームで余生を送っていた。今月21日に寝たきりとなり、22日の午後に老衰のため亡くなった。28歳の大往生だった。
産駒にはオープン勝ちや地方で活躍する馬がいるが、JRA重賞勝ち馬を送り出すことはできなかった。しかしかつてのクラシック戦線を沸かせたこの馬の活躍がきっかけで競馬好きとなったファンも多くおり、JRAに大きく貢献した。
当時、鍛えて最強馬を作ることをモットーとしていた故・戸山為夫調教師は坂路でビシバシ乗り込むという、例の戸山流スパルタ・トレーニングによってミホノブルボンを最強馬に作り上げた。異名の「サイボーグ」というのはよく言ったものである。
もともともって生まれた能力が極めて優れていたことも大きいが、このような道のりから強烈な印象を植え付けられたファンも極めて多いだろう。筆者はリアルタイムでこの馬の活躍を見ていたわけではないが、あの頃ミホノブルボンの活躍を生で見ていたファンで当時の鍛え抜かれたアスリート的な馬体を称賛する声は今なお多い。
「逃げて勝つ馬の中では今でも史上最強」「ライスシャワーもすごかったが、最強はミホノブルボンだ」などと皆自慢げにあの頃の思い出を語ってくれる。今の時代はインターネットでかつてのレースを見ることができるが、こういったファンの称賛の声を聞くと、ぜひこの目で一度ミホノブルボンの走りを見てみたかったとつくづく思う。天国でも元気に駆けてもらいたいものです。心からご冥福をお祈りします。ミホノブルボン号、お疲れ様でした。