今でこそ名伯楽の藤沢和雄調教師。欧州スタイルの調教をいち早く取り入れた調教師である。
藤沢師の調教手法は「馬なり主体」、「速い時計を出さない」点に特徴があるとされるが、これは馬に負荷をかけないということではなく、「馬なり調整でも併せ馬はビッシリ」、「馬が朝起きたら1時間の歩き運動」といったように、運動量の豊富さは中央競馬の厩舎の中でも随一。
開業当初は、下級条件では通用しても大レースでは通用しないと散々陰口をたたかれたが、海外で4年間学んだ事をどうしても生かしたかった藤沢師は信念を曲げなかった。
最初は委託してくれる馬主も少なかったが、藤沢調教師に賛同する有力馬主が出て来た。その中でもシンコウラブリイは厩舎の飛躍に大きく貢献した一頭だ。マイルCSで見事にG1を勝利し、厩舎初のG1制覇を成し遂げた。この頃から他の厩舎からの藤沢厩舎に対する見方が変わってきたのではないだろうか。
1987年に開業し、開業後5年で関東のリーディングトレーナーとなり、さらに5年後の1997年にはJRAの年間最多重賞勝利の新記録を達成(13勝)。翌年1998年には管理馬タイキシャトルがフランスのジャック・ル・マロワ賞を岡部元騎手の騎乗により勝利し、海外でも活躍を見せた。
現在は重賞勝利98勝。重賞100勝まであともう少しというところまで来ている。重賞を勝てずに悪戦苦闘する調教師が多いなかで98勝というのは素晴らしい数字だ。良質な馬を預かるようになってから飛躍的に勝利数を伸ばしたが、当然その様な馬を預かるにはそれなりの調教技術がなければ集まらない。
原点はイギリスで学んだ競馬論
藤沢師は1973年に22歳でイギリスのニューマーケットに留学し、プリチャード・ゴードン調教師が運営する厩舎に4年間厩務員として務めた。
木村幸治著の「馬は知っていたか」(祥伝社黄金文庫)で、藤沢師が語る言葉で以下のような言葉がある。
「正直言います。なぜ勝てるのかわかりませんが、ただ馬の訴えがわかる人間でありたいとおもいます。イギリスにいた4年間、一人のガールフレンドもいなかったから、僕の唯一の友だちは師匠(P.ゴードン調教師)から任された2頭の担当馬でした。」
「一生懸命、そして親密に馬たちと接しました。僕がいくら下手な英語で話しかけても、馬たちだけは下手くそと言って笑うことはなかったし、僕の話したことを理解してくれました。それが僕の今の厩舎経営の基本となっています。」
さらに藤沢師自身が著者の「競走馬私論―プロの仕事とやる気について」(祥伝社黄金文庫)では、イギリスにてジョン・マギーという同僚にかけられた一言について以下のように記している。
「ハッピーピープル・メイク・ハッピーホース-いつもおおらかに笑っていられる人間が幸せな馬を作れる。ジョン・マギーの言葉に、私はある種のカルチャー・ショックを受けた。自分に最も欠けていることを明確に、しかも一言で指摘されて、目の覚める思いがした」。
藤沢師が言う馬の訴えがわかる人間でありたいということは競馬業界に携わる人間であるなら誰しもが見習ってもらいたい姿勢。そしていつもおおらかに笑っていられる人間が幸せな馬を作れるというマギー氏の言葉。馬と接する機会が多い人にはぜひとも強く意識してもらいたい言葉である。
藤沢師がイギリスで学んだことは今の調教方法に大きく取り入れられており、人間の都合に合わせて馬を飼育していることを否定した彼のスタイルは当時は散々陰口を叩かれたが、今では「スーパートレーナー」「レジェンド」と呼ばれるまでになった。
昨年は2歳G1を完全にジャック。阪神JFを勝ったソウルスターリングと、朝日杯FSを勝ったサトノアレスは藤沢厩舎きってのエースだ。ホープフルSを完勝したレイデオロも今年の活躍が楽しみな一頭である。若い馬の育て方も上手いのはやはり上記で記したような競馬論が上手く起用されているからだろう。
外国人騎手の起用が多い点も特徴としてある藤沢厩舎だが、藤沢師は「彼らは1年で最大3カ月の免許期間中に、結果を出そうという意識が強過ぎ、若い馬に過剰な負荷をかけることがある。」と言及するなど、若い馬についてもやはり馬の訴えを重視している。
強い2歳王者が誕生したことで、今年がますます楽しみになった藤沢厩舎。2歳チャンピオンとしてあともう少しすれば始動するが、どの馬で重賞100勝に到達するのかが今から楽しみである。