ナリタブライアン。説明不要の3冠馬である。皐月賞・ダービー・菊花賞と1冠ごとに着差を広げた圧倒的パフォーマンスは、今でも記憶に新しい。残念ながら、ナリタブライアンの産駒は僅か2世代しかいない。ナリタブライアンは種牡馬入りして2年で急逝した。
そんなナリタブライアンは、3冠を達成した後。有馬記念に出走し、断然の1番人気に応え快勝。この年のG1勝利は4つ。文句なしで年度代表馬に選出された。しかし、翌年歯車が狂う。阪神大賞典快勝後、天皇賞・春に向かう過程で股関節に故障を発症し、半年間の休養を強いられる。これは陣営にとっても大誤算だった。l
そして復帰レースは天皇賞・秋。クラシックレースで見せた圧倒的パフォーマンスは影を潜め、12着惨敗を喫する。ナリタブライアンはもうだめかと誰もが思った。その後、ジャパンC6着→有馬記念4着でこの秋は終わる。
そして、翌年の始動戦伝説のレースを演じる、鞍上は武豊。舞台は阪神大賞典。この年の阪神大賞典はなぜか土曜日に行われた。土曜日にも関わらず、阪神競馬馬にはたくさんのファンがつめかけた。前年の年度代表馬マヤノトップガンと調教で勢いを取り戻したナリタブライアンの戦いに注目が集まった。レースは予想通り、この2頭のマッチレース。直線に向いてから抜きつ抜かれつの激しいたたき合いゴール前、ナリタブライアンが、僅かに出たところがゴール。復活の狼煙をあげた。
そして、今度は無事に天皇賞・春に進んだここまでは良かった。レースはサクラローレルに敗れたが2着。再びG1戦での好戦が十分期待できる内容だった。そして、問題はここから。陣営が選択したのは何と1200M戦の高松宮杯(現高松宮記念)だった。単勝人気は4番人気。流石にスプリンターの猛者が集まるこの舞台いくらナリタブライアンでも苦戦は想定された。前半は追走に苦労する。直線追い上げるも4着まで。良くこなしたほうだと思う。しかし、このレースでナリタブライアンは屈腱炎を発症し引退を余儀なくされる。
この高松宮杯(現高松宮記念)に使わなければ、もっと長く現役を続けられたのではないか?そんな声も多かった。電撃の6ハロン戦は特殊舞台である事をあらためて知らされた一戦だった。