【追憶の名馬面】サイレンススズカ

日々刻々と進む時間という概念は戻ることをしない。常に先へ進み、新たな世界を創造し続けるだけだ。

しかし、1秒、1分、1時間…歩みを止めることなく進み続ける時の流れの中で、不意に戻りたい、或いは止めたい、と願う瞬間がある。

サイレンススズカという馬がいた。キラキラと眩しい栗毛の馬体を躍動させ、誰よりも速く、ターフを駆け抜けた彼を愛する人は今なお多い。もちろん、私もスズカが大好きだ。栗毛フリークとして、彼のことを愛さずにはいられない。

1998年11月1日。スズカの時間は、ここから動いていない。彼がいた空間が時の流れを失い、もう17年余りの歳月が過ぎた。その年に産まれた赤子は、多感な高校生になり、思い思いの青春を謳歌し成長を続けているのに、彼はまだ11月2日の朝陽を見られないでいる。

高度に文明が発達している現代社会の技術を持ってしても、1998年のその日にタイムスリップすることは、まだ不可能だ。故に、彼を翌日へ誘うことは出来ない。しかし、知性を持つ人間は、彼がその日まで歩んできた足跡を、確実に辿る術を持ち合わせている。

1998年11月1日。彼がこの日を迎えるまでに辿ってきた道を、今日は振り返ってみたい。

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1994年5月1日、北海道平取町の稲原牧場で、栗毛の男の子が産まれた。父はサンデーサイレンス、母はアメリカのスプリント路線で活躍したミスワキ産駒のワキア。アメリカ競馬の名血を受け継いだ少年は、ワキちゃんと呼ばれ、仔馬の頃から駆けっこが得意だった。どの様な策を講じても、ビュンビュン駆けるワキちゃんのスピードに、牧場のホースマン達は白旗を上げた。

誰よりも速く駆ける。武装手段を先天的に持たない草食動物の本能が、彼の場合、幼駒の頃から溢れかえっていたのだろう。

広い放牧地を勝手気儘、ただテメェの力加減だけに任せて走り回ったワキちゃんも、競走馬として走らなければならない時期がやって来た。1996年の冬、彼は栗東、橋田満厩舎に迎えられ、サイレンススズカという名前を与えられた。

デビューは、翌年の2月1日、京都競馬場。上村洋行を背に、初めてターフへ飛び出した彼は、やはり速かった。時空を引き裂く様な圧倒的スピードを見せつけ初勝利。ただその走りはまだ、勝手に走りたい、という感情が強いヤンチャ坊主のそれだった。

西にバケモノみたいな速さを持つ馬がいる。

ちらりほらりと、早くも彼の名前が囁かれた。大器っぷりを見せつけるかの様に、スズカは、500万下をパスして、いきなり重賞に出てきた。皐月賞トライアル弥生賞。東のファンにも、その卓越したスピードを見せつけるべく、勇み東上したが、鉄檻に嫌気が指した。スターターが扉を開く前に、スズカは一頭、フライング発走をやらかしてしまったのだ。

再度、発馬をやり直し、レースが行われたが、デビュー戦で見せたバケモノぶりは鳴りを潜め、代わりに、ゲートを破壊したバケモノ、というネタ馬臭が漂った。

間違いなく走る馬だ。コイツをコメディホースにしてはいけない。

ネタ臭が漂い始めた相棒を憂いた上村は、プリンシパルSで賭けに出る。気の向くままに走らせるのではなく、控えて末脚を発揮する戦法を、ダービートライアルで実行した。

騎手と馬は互いに教え合い成長する仲だ。この場合、上村が先生でスズカが生徒となる。

名馬にしてやりたいと願う、ウエチン先生の熱血指導は、キンキラキンの青臭い生徒を、見事にダービーへ導いた。

しかし、本番のダービーは全く良いところがなく9着。勝ったサニーブライアンは、府中の広大なターフを、気持ちよさそうに逃げ切り栄冠を掴んだ。

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最高級のスピードを弄んでいる状態。橋田をはじめとするホースマンはもちろん、スズカ自身もフラストレーションが溜まっていった。

夏を越して秋。苛つく栗毛は神戸新聞杯に挑んだ。ワキちゃん時代を彷彿とさせる疾走っぷりを披露し快調に逃げた。直線に入っても後続とは差がある。上村は勝利を確信した。しかしその瞬間、外から忍び寄っていた南井克巳のマチカネフクキタルがぷつりとゴール前で彼らを差した。

まさかの2着。敗因は明らかだった。油断である。このレース以降、上村がスズカの背中に跨る事はなかった。

出走権は取ったが、適性を考えて長丁場の菊花賞はパスして、2000mの天皇賞秋に挑んだ。鞍上はベテランの河内洋。栗東の青年団長は、スズカを、気の向くままに駆けさせた。1000m通過、58秒でも関係ない。兎に角、スズカの勝手気儘に…。結果はエアグルーヴの6着に敗れたが、何かキッカケを掴み始めていた。

スピードに任せた大逃げ。

この先、生き残る為のキーワードが、モヤモヤと浮かんできた。

天皇賞秋の後は京阪杯に出走する予定だった。ところがスズカの元に香港から招待状が届く。予定を変更し、マイルチャンピオンシップに挑んだが、15着と大敗。しかし、これはレース前に激しくイレ込み、レース中には鞍ズレのアクシデントに見舞われた結果の大敗だった。この時、逃げたのは同い年の桜花賞馬、キョウエイマーチ。1000m56秒という狂気のペースで逃げた彼女は、2着に粘った。上には上がいるものである。

香港へ旅立つスズカの前に、乗らせてほしいと懇願する騎手が現れた。7馬身差で勝利した新馬戦を、彼方から眺めていた武豊。圧倒的な強さで駆け抜けたスズカを見て、彼は「クラシックを全部持ってかれる」と覚悟し、乗りたかった…と後悔していた。

武豊との出会い。この出来事が、スズカの運命を、自身のスピードと同じくらいの速さで、好転させていく。

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好スタートを決めると、そのまま流れる様にハナへ。息を入れ引きつけることもせず、常に5,6馬身のリードを保ち飛ばした。直線に入っても、一向に脚色が衰えなかった。香港で初タイトル、という派手な戴冠を期待したが、最後はバルズプリンセスら後続に交わされ5着。しかし、スズカの脚色は最後まで同じだった。という事実は見逃せない。

息も入れないで一気に走り抜ける逃げ馬。

こんな馬が現れれば、もうどうしようもない。まさか、その馬が、サイレンススズカだったと、この時、何人の人が気付いていただろうか?年が明けて1998年。香港で走り終えた後、体調不良に見舞われたサイレンススズカは、2月の東京OPレース、バレンタインSから始動した。鞍上はもちろん武豊。西の騎乗を断り、スズカに乗るためだけに、武は東上した。この事実から、如何に彼がスズカに惚れ込んでいたのかが読み取れる。

天才を惚れさせた栗毛の馬は、期待通りの走りを見せた。

外枠からの発走となったが、気持ちの良い出足でスーッとハナに立った。武は何もしていない。ただ、手綱を握っているだけなのに、彼のスピードは他馬とは明らかに違った。

1000mは57.8秒。無茶苦茶なペースである。後続勢としては後ろで控え、彼がバテたところを討つという作戦が有効に思うが、はしゃぐ栗毛は全くスピードを落とさない。

直線に入っても大きなリードを保ちスイスイと走る。後藤のホーセズネック、或いは岡部のメイショウデンゲキが鞭を入れられ必死に迫るも、遥か前方を行く栗毛の影は踏めなかった。

誰が見ても明らかに馬が変わった。と分かる強さをひけらかしたサイレンススズカ。彼のスピードは更に加速していく。一秒でも早く走り抜けたい。という激情に駆られたスズカは、中山記念で重賞初Vを決めると、続けて中京で開催された小倉大賞典も制した。

逃げに逃げまくる彼だが、その姿には草食動物特有の必死さはない。サラブレッドに対して適切かどうかわからないが、彼は楽しんで走っている様に見えた。

私は、武と一緒にただ気持ち良さそうに走る姿を見て、羨ましく思い、スズカの風を、ただ1人味わっている武に嫉妬した。

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気の早い夏風が吹き抜けたのは、5月30日。中京競馬場で行われた、GⅡ金鯱賞。燦々と陽が照らし、ターフが風に吹かれ、波打つように靡いている光景は、競馬場とは真反対の位置にある、海辺を彷彿とさせた。

その緑の海辺にサイレンススズカはいた。この日、私達は一生忘れられない光景を目撃することになる。

5番枠から飛び出すと、例によってハナへ。もう誰も競りかけて来なかった。

1コーナーまでに4馬身くらいリードを取ると、そこから徐々に引き離し始める。後続勢は、脚をシッカリ温存させ、終いに放つ作戦を立てたが、彼らが温存すればするほど、前の栗毛は、リードを広げていく。

4コーナーを迎える頃、少し引きつけた。あくまで少しだけ…

直線に入ると武は手綱を絞り追い出した。交わせるかも、と一瞬期待した後続勢の夢は一気に潰えた。

グングンと差を広げる。鞭も入れずに加速するバケモノは、遂に最後までスピードを落とすことはなかった。

1:57.8は文句なしのレコードタイム。そして掲示板の、自身と2着馬の差を表す箇所には「大」の一文字が灯っていた。私のチッポケなボキャブラリーは、この衝撃的なレースを、上手く形容する言葉を持ち合わせていない。いや、この場合、変に気取って形容するよりも、一言で言い表した方が良いか。

ただ、ひたすら速い馬。

彼にかける言葉は、今現在でも、これしか思い付かない。

覚醒したスズカを、もう大衆は無視できないでいた。ファンは彼を夢のレースへ推薦した。

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宝塚記念。春競馬の総決算に、挑むことになった。武豊は、エアグルーヴとの先約があったので、このレースは南井克巳とコンビを組み挑んだ。若手の上村から河内、武、南井。この流れ、何処と無くアイツに似ている様な気がする。なるほど、人気者とは、常に同じ星の下に存在するということか。

スタートはゆっくりだった。内のメジロドーベルと吉田が、ほんの少し絡む素振りを見せたが、ハナは譲らなかった。こう書けば、ガムシャラに奪いに行った、とイメージしてしまうが、皆様、ご存知の通り、彼は涼やかにハナを叩いた。ガムシャラさはない。

テンは大人しく、徐々に引き離すのが彼のスタイル。人工物に例えるなら、飛行機の離陸時と似ている。

2コーナー出口で、栗色の飛行機は完全に離陸した。しかし、他の馬達は、蹄を振って見送ったりしない。どこかで撃ち落としてやる。番手のメジロドーベル以下、12頭の馬達は一団で、照準を合わせた。中でも、スズカの素性を誰よりも知る武豊とエアグルーヴが、不気味な雰囲気を醸し出したいた。

一方のスズカはオートパイロットモードに入り、快適な芝生の旅を満喫。汗とガムシャラさが似合う、良い意味で熱苦しい南井克巳が操縦している、というのも少し微笑ましい。

シートベルト着用ランプが点灯したのは、3コーナー付近。幸のユーセイトップラン、松永幹夫のミッドナイトベッドが浮上を開始すると、レースが動き出した。4コーナー出口で、南井は一瞬、後方を確認する。来るなら来い。ファイターが何かを決意した。

サイレンススズカ先頭で最後の直線へ。まだリードはある。しかし、社台3本の矢の小兵ステイゴールドと熊沢が抜群の伸びを見せ一気に迫ってきた。

南井はギリギリまで溜めてスズカを追い出した。しかし、突き放せない。尻尾を上下に荒々しく振り、必死に逃げるスズカ。

そして坂の半ば、絶妙のスパートタイミングで、エアグルーヴが追撃を開始。昨日まで味方だった武が、強敵として襲いかかる。ステイは止まった。しかしグルーヴの脚は良い。南井が熱血の鞭を入れ、スズカの最後の一滴を絞り出したところが、ウイニングポストだった。

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悲願のGIタイトルを手にして迎える秋。天皇賞秋へ向けた重要なステップレース、毎日王冠に彼は挑んだ。このレースには、血気盛んな若い駿馬も挑んでいた。

エルコンドルパサーとグラスワンダー。

マル外の怪物2騎VSサイレンススズカ。この対決に、心踊らないウマキチはいないだろう。GⅡにもかかわらず、その日府中へ詰めかけた観衆は13万人。結果はどうあれ、このレースを見逃すわけにはいかない。武蔵野の杜は、異様な熱気に包また。

例によってスズカは涼しげにハナへ。エルコンドルパサーと蛯名が一瞬突いたがすぐに控えた。グラスワンダーは、そのチョットした小競り合いを後方から凝視。マークさせたら鬼より怖い的場は、ジックリと牙を研いでいた。この日のスズカは、いつものように、徐々に引き離すのではなく、後ろを弄ぶかのような逃げだった。

4コーナー、的場が仕掛ける。外を捲るようにグラスワンダーが捕らえに出た。
蛯名はスズカの斜め後ろにエルコンドルパサーを付けさせ、気を伺う。

おっかないのに狙われているぞ。サイレンススズカ。大丈夫か?大観衆は叫び散らしたが、スズカはやっぱり余裕だった。気持ち程度の肩ムチを入れられた彼は、あっという間に突き放した。グラスは脱落、エルコンドルは必死に食らいつくも、坂の登りで体勢は決していた。

後に、国内外でチャンピオンに君臨する若駒に、影すら踏ませない。パサーもグラスも、スズカの前ではヒヨッコに過ぎなかった。

彼を止める者は誰もいない。強いて言うなら、武くらいか?いや、誰よりもスズカのスピードを愛する武が、止めるわけはない。気の向くまま、スズカを駆けさせるだろう…。

1998年11月1日。第118回天皇賞秋。この日は、秋の柔らかな陽射しが降り注ぎ、やや靄がかっていた。サイレンススズカは1枠1番。枠順という運気も、彼に味方した。

一番最後に馬場へ入るスズカ。すぐには駆け出さなかった。外埒沿いを、ゆっくりと並足で流す。その姿は、今見ている光景を愛でているようだった。最前列で見守るファンは、手を出せば届きそうな位置にいる彼を、必死にファインダーの中へ収めた。

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スッポリと影に隠れた奥深い府中の2000m地点から、12頭のサラブレッドが飛び出した。

スタートから13秒後、最初に観衆の前現れたのはサイレンススズカ。人々がハッキリと自身を認識したのを確認すると、この栗毛は早くもエンジンに火をつける。10.9-10.7と急加速した彼のスピードには誰も付いていけない。

速い。恐ろしいくらいに速い、そのスピードは、飛行機からワンランク上がり、大気圏から飛び出さんとするロケットのような走りだった。

57.4秒で1000m通過。相変わらず無茶苦茶である。しかし、誰も不安にならない。これがサイレンススズカの通常、と知っているから。

カメラが大欅の全体を写す。引いたことにより、小さな木になった欅の左端に、小さなスズカが映っている。憎いカメラワークだ。

引いたカメラがサイレンススズカをアップに映した。スタンド、そしてテレビの前のファンが、軽やかに駆けるその姿をハッキリ確認した時、彼は止まった。老雄のオフサイドトラップ、頑張り屋のステイゴールドが新たな世界へ入っても、スズカの時計が動くことはなかった。

17年。文字で書けばたった三文字だが、実際は気の遠くなるような桁の数字が並んでいる。この間、私達は様々な名馬との出会いと別れを経験した。確実に時は流れている。これは疑いようのない事実だ。

振り返るな、そこに夢はない。

寺山修司は、この言葉で、ハイセイコーがいなくなり喪失感に苛まれている大衆の背中を押した。

しかし、私は振り返る。何度も、何度も、バカみたいに振り返り、サイレンススズカがいた世界を見る。現実逃避というヤツかもしれない。しかし、浮世に、この様な言葉があるということは、それは、認められた行動なのだ、と考える。

振り返れば、スズカがいる。こんな嬉しいことがあるのだから、私は恥じらいもなく現実逃避をする。一般論なんて知ったこっちゃない。

もし、貴方の周りに競馬を始めたばかりの人がいるなら、スズカの事を語ってやってください。圧倒的な速さ、美しい出で立ち、ゲートを壊したこと…。何でもいいです。私達が、次へ語ることによって、彼は11月2日を迎えられます。サイレンススズカ。

彼は、巷でよく言われる「無念の安楽死で逝った悲劇の名馬」なんかじゃない。

ただひたすら、誰よりも速かった名馬。

これがサイレンススズカである。

私は、彼の実像を次へ語り継ぎ、幻を独り空想しながら、永遠にその名を刻むことを誓う。