父サンデーサイレンス、母スカーレットブーケ、母父ノーザンテースト。
社台が世界中を廻り集めてきた、綺羅星の様な駿馬達の血を受け継いだダイワメジャーが、千歳に誕生したのは2001年4月8日。
大きな栗色の馬体、額にはズドンと立派な流星を持った、その外貌は母と祖父に良く似たものだった。これだけ見れば、母方の血を色濃く受け継いだのだろう、と思ってしまうが、父の血もしっかり流れている。
ダイワメジャーが父サンデーサイレンスから受け継いだ血の色。それは、かつて馬場でライバルを噛み殺そうとした荒々しい気性だった。
私は、ダイワメジャーに対しデカイ栗馬、或いはスカーレット一族のボンボン、というイメージしか抱いていなかった。しかし、今回彼を取り上げるにあたり今一度その素性を調べてみると、百戦錬磨の社台ファームのスタッフを本気で震え上がらせた、という恐ろしい一面を知り、思わず驚いてしまった。
気に入らないことがあれば、良血馬特有のズバ抜けた馬力で抵抗し、育成馴致のため騎乗するスタッフを鋭い目で睨みつける。その姿からは品行方正な良家の少年像、優しいお馬さんという絵本的な姿は想像出来ない。北アメリカ大陸で、人間に服従せず我が道を突き進んだ野生馬、ムスタングの様な仔馬だったのだろう。
そんな唯我独尊な不良少年の前に鬼が現れる。ホッカイドウ競馬の名手、五十嵐冬樹。宮城の山元トレセンから、千歳へ強制送還された荒ぶる栗毛に、五十嵐は徹底的に教育を施した。その結果、幾分素直な性格になったという。
五十嵐とダイワメジャーの関係は、かつてTBS系列で放送されていた、某番組を彷彿とさせる。どうしようもない少年達が、それまで出会ったことのない屈強な男にボクシングを教えられ成長していくアレである。
このエピソードを軸に、彼が競走馬として初めてタイトルを獲得した、2004年の第64回皐月賞を見ると、青春ドラマ臭が漂ってくる。
かつて自身を徹底的に追い込んだ鬼教官と、クラシックの舞台で再会。
台詞の一つでも付けたくなるこの情景を一人の紳士が見ていた。
卓越した相馬眼を駆使して、世界中の隠れた逸材を発掘し、競馬場に送り込み続ける彼は、周りにいた知人に対し、ダイワメジャーにやられるかも知れない。と呟いた。
この時、紳士の持ち馬も皐月賞に出走していた。五十嵐が手綱を取るコスモバルクである。様々な期待を背負い皐月賞の舞台に挑むこのザグレブ産駒は、堂々1番人気に支持されていた。しかし、最上位人気の愛馬よりも32.2倍の10人気と低評価なダイワメジャーに恐れを抱いた。卓越したホースマンにしか見えない景色が、そこにあったのだろう。
良家のボンか、それとも庶民的な少年か?
様々な思惑が渦巻く中、ゲートが開かれた皐月賞競走は、58秒で5Fを通過すると逃げ宣言していたマイネルマクロスが控えたことにより、のっけから波乱の様相を呈した。
福永祐一のメイショウボーラーを先頭に進む18頭。バルクは中位で脚を溜め直線勝負に賭ける作戦に対し、ダイワメジャーは2番手。イタリアの名手ミルコ・デムーロにシッカリと手綱を持たれ絶好位をキープしていた。
直線。道中をロスなく回ったメイショウが、突き放すところへ栗色のムスタングが襲いかかる。坂の前で一気に先頭へ躍り出ると、猛追するコスモバルクを振り切り、皐月のタイトルを掴んだ。一勝馬の身ながら皐月賞Vの記録は、小岩井が最後に送り出したダービー馬、クモノハナ以来の快挙だった。
スカーレット一族に初のタイトルをもたらしたダイワメジャーは、皐月賞馬として二冠目のダービーへ挑んだ。
しかし、距離の壁にブチ当り6着。暴れん坊の彼も、新時代の路線からダービーへ挑んできた恐怖の大王には平伏するしかなかった。
夏を越し秋。陣営は適性を考慮し、クラシック最終戦の菊花賞ではなく、天皇賞秋に照準を定めた。始動戦はオールカマー。菊のトライアルに挑む同期生達より先に、オトナの世界に飛び出したダイワメジャーだったが、トーセンダンディの9着。最下位に敗れ去った。
よもやの大敗を喫したが青写真通り天皇賞秋へ向かった。しかし、全くらしさを発揮できず17着の最下位。春の輝きは完全に消え失せてしまった。
彼から輝きを奪い取った憎たらしいヤツ。それは喘鳴症という病だった。声門拡張筋に麻痺が生じ、咽頭部の被裂軟骨が十分に開かなくなる。この病は、ヒューヒューという独特の呼吸音からノド鳴りと呼ばれることが多い。
全力で馬場を疾走するサラブレッドは、レース時に多量の空気を必要とするが、ノド鳴りを患うとそれを満たすことが出来なくなる。ゆえに、この病は屈腱炎と並びサラブレッドにとって最も厄介な病として位置付けられている。
ダイワメジャーの症状は、正常時の60~70%しか空気が入っていないという重篤なものだった。きっと物凄く苦しかったのだろう…。手術を施しても、元の状態に戻る確率は10%。若年にして引退の窮地に追い込まれたダイワメジャーの処遇を、管理トレーナーの上原博之、オーナーの大城敬三、生産者の吉田照哉が協議した結果、その僅かな可能性に賭けることになった。
美浦から千歳の社台クリニックへ。彼は再び最前基地から故郷へ戻った。そこで彼を待っていたのは、五十嵐ではなく鋭いメス。身体に刃物を入れられ、ダイワメジャーは病と闘った。
手術は無事に成功し、ダイワメジャーは競走馬として再び競馬場へ戻って来た。2005年4月3日、中山競馬場で行われたマイル重賞ダービー卿チャレンジトロフィーに挑んだ彼は、皐月賞の時を彷彿とさせる力強い走りで復帰戦を白星で飾った。
ダービー卿CT以降は勝ち星こそ挙げられなかったが、翌年、2006年の中山記念まで5戦し3連対。その中にはハットトリックにハナ差及ばず2着に敗れたマイルCSもあった。
2走続けて最下位に終わった姿から徐々に本来の良血馬らしい姿に戻りつつある彼の前に名手が現れる。
安藤勝己。
公営笠松から中央の騎手に転身したこの豪腕ジョッキーが、ダイワメジャーを新時代のニーズに合った名馬へと導いていく。
安藤と初めてコンビを組んだ2006年の読売マイラーズカップで約1年振りの勝ち星を手にして臨んだ安田記念は、2番人気に支持されたが4着。瞬発力勝負に持ち込まれたことが敗因だった。安藤の騎乗停止により、四位洋文と挑んだ宝塚記念で4着した後、夏シーズンは休養。
英気を養い、秋競馬を迎える。始動戦の毎日王冠を制し、前年悔し涙を流したマイルCSに挑む予定だったが、レースの勝ちっぷり、さらに体調がすこぶる良好だったことから、陣営は天皇賞秋に進路を変更した。
2年前、最下位の悪夢を見た秋の盾戦。1年前より、まずは2年前の忘れ物を取りに、彼は第134回天皇賞秋へ挑んだ。
この天皇賞秋は、前年無敗で三冠レースを制しフランスへ渡った英雄が出走を表明していたが、直前で回避が発表され戦況は一気に大混戦となっていた。
その中で、7.0倍の4番人気に支持されて、ダイワメジャーは府中の馬場へ飛び出した。
佐藤哲三とインティライミが引っ張る流れを番手からの追走。皐月賞と同じ位置でレースを進め直線へ向く。手応えは抜群だった。いつでも抜け出せる状態だったが、安藤はスグに仕掛けなかった。ギリギリまで後続を引きつけ、左後ろから北村宏司のダンスインザムードが迫ってきたのを確認し、ようやくメジャーを追い出した。
芝生を根刮ぎ抉るようなパワーで府中の坂を駆け上る。そこへ内から、ダンスと同じ社台RHの勝負服を纏ったスイフトカレントと横山典弘が急接近してくる。
半馬身、クビ、と追い詰めたが、それ以上、ダイワメジャーの前へ出ることは出来なかった。
皐月賞制覇から2年半。歴代3番目の長期ブランクを跳ね除け、2つ目のタイトルを手にした愛馬に対し、上原は「ノド鳴りを患った馬達に、希望を与えることが出来た。」と語り、彼の祖父ノーザンテーストを見定めた吉田照哉も「奇跡と言っていい。」と、惜しみない賞賛の言葉を贈った。
暴れん坊、穴をあけた皐月賞馬から奇跡のヒーローへ。
生まれ変わった、いや、本来あるべき姿になったダイワメジャーは、盾を制した勢いそのままに、第23回マイルCSに挑んだ。
番手抜け出しという一つの型を作った彼は、ここでも小牧太のステキシンスケクンを見ながら番手に付けた。4角前でシンスケクンを完全に捕らえたがスグには追い出さない。ジックリ溜めて追い出されると、巨神兵の様な力強さで脚を伸ばし始めた。迫ってきたのはまたしても社台RHの服色。武豊に導かれた才女、ダンスインザムードが、鋭く迫る。
ダンシングキイか?スカーレットブーケか?
日本競馬屈指の良血馬である彼らの競り合いは、栗色の良血馬に軍配が上がった。
天皇賞秋からマイルCS制覇は、ニッポーテイオー以来19年振りの快挙。
走るたびに歴史を刻み続ける優駿の姿を、グランプリの舞台で見たいと渇望したウマキチは、彼をファン投票2位で第51回有馬記念へ推薦した。
だが、このグランプリは彼のためではなく、今日でターフを去る英雄のための舞台だった。3馬身と3/4離れた3着の位置から、種牡馬として北へ飛び立つ英雄を見送り、輝かしい2006年シーズンを締め括った。
ダイワメジャーに嬉しい一報が届いたのは、2007年が明けて早々の1月。前年の功績を認められ、彼は競馬会から最優秀短距離馬の称号を贈られた。
今や世界の頂に存在する日本競馬界。そこの最も優秀な短距離馬を連中が無視する筈はなかった。
世界最大のサラブレッド軍団、Darley Groupが本拠地を構えるアラブ首長国連邦から招待状が届いた。ドバイデューティフリーに出てくれないか?と、依頼されたダイワメジャーは、同じく招待を受けたアドマイヤムーンらと共に海を渡った。
ドバイミーティングは、いつの時代も私達を夢の世界へ誘おうとする。砂漠地帯の中にポッと燈るゴージャスな光は、現世に現れたオアシスといったところだろうか?是非、一度その空気を体験してみたいものである。
煌めきと熱狂が入り交じるドバイの芝に降り立ったダイワメジャー。もちろん、観光目的ではない。日本代表として、レースに勝つために彼は異国での戦いに挑んだ。
終始外を回らされる苦しい展開にも負けず、直線は一瞬先頭に立ちかけたが、残り300mの所で失速し、結果は3着。前方を見ると、見事な名月がドバイの夜空に浮かんでいた。
帰国後は、過去2回挑み、勝ちを掴めていない安田記念に出走した。彼がドバイで戦っている時、日本で春のスプリント王に輝いたスズカフェニックスに人気は譲ったが、馬からしてみれば人気なんて馬耳東風なモノである。
1枠2番から抜群のスタートを決めたダイワメジャーは、例によって番手を狙った。外から藤田伸二のコンゴウリキシオーが行き、内にいた鮫島良太のサクラメガワンダーが控えたため、狙い通りマイポジションを確保出来るはずだった。
内で落ち着こうとする海外帰りの栗毛を目掛けて、外から香港のエイブルワン、柴田善臣のマイネルスケルツィが上がってきた。道中のポジションは、包まれる形の4番手。昨年の悪夢が頭を過る。
隊列変わらず直線へ向く。前が塞がる苦しい位置だったが安藤に焦りはなかった。ジッと機会を狙い前が一瞬だけ開いた時、ギリギリの手綱捌きでダイワメジャーの進路を確保した。
馬なりで府中の坂を登る栗毛。恐ろしいくらいの手応えで登りきった時、安藤の剛腕が唸った。
逃げるコンゴウリキシオーの脚はまだある。デビューしたあの日から背負わされた"2着馬"のレッテル。それを振り払うために、ピンクのメンコが良く似合ったストラヴィンスキー産駒は懸命に脚を伸ばした。
そんな悲壮感すら漂う彼らを、ダイワメジャーと安藤は無慈悲に競り負かした。レースはいつでもガチンコなのである。そこに憐れみも労わりも必要ない。着差はクビ。しかし、この差は永遠に詰まらない。
4つ目のタイトルを獲得し、マイル王者として挑んだ宝塚記念は12着。久々の大敗となったが、この時は体調不良に見舞われていたという。そこへ蒸し蒸しとした鬱陶しい暑さも加わり、すっかり元気をなくしてしまった結果の大敗だった。
ドバイに続き、仁川にも浮かんだ名月を、彼はまた見上げる事しか出来なかった。
夏は例によって休養し、前年に引き続き毎日王冠から始動。強い馬には過酷な条件を強いる競馬界の掟に則り59kgという酷量を背負わされたが、ファンは1.8倍の1番人気に支持した。
ストーミーカフェとコンゴウリキシオーが作り上げた5F57.5秒の音速ペースの中、2,3番手に付け追走したが、直線は伸びを欠き3着。
オイッスー!と元気よくレコードタイムで彼を差し切ったチョウサンらと共に、次いってみよー!と挑んだ通算3回目となる第136回天皇賞秋は、かつて皐月の舞台で覇を競ったコスモバルクの蛇行事件に巻き込まれ9着。この時、バルクに騎乗していた五十嵐は、方々でバッシングを浴びせられた。
ダイワメジャーと五十嵐の関係を知って、この顛末を見ると、何とも言えない気分になった。カッコ悪いところを見せてしまったな…五十嵐よ。
連戦連勝だった昨年と同じローテを歩みながら、今年は歯痒い状態が続く。そんな中、やはり昨年と同じく、ダイワメジャーはマイルCSに挑んだ。こちらも通算3回目のチャレンジ。
人気は一番人気だったが、3.8倍という数字が示す通り、信頼度はイマイチな一番人気だった。
前走の敗戦を受け、安藤はハナに立つことも辞さない。という強気の姿勢でレースに臨んだ。
地を這う様にゲートを出ると、気合をつけてハナに立った。そのまま行くところへ、内から武幸四郎とローエングリン、更にはオリビエ・ペリエのフサイチリシャールがダイワメジャーに待ったをかけた。
彼らを行かせ、その後ろに付けるところだが、安藤はスグにハナを譲らなかった。マジでハナを叩く。という素振りを見せつけて、スタートから400m地点を通過した時、静かに前を譲り、いつもの絶好位を確保した。
グッと手綱を抑え、坂を下り、はち切れんばかりの手応えで最後の直線に入る。
馬なりでフサイチリシャールを交わし先頭に立ったが、まだ引きつける。彼方からスーパーホーネットと藤岡佑介が飛んで来た時、安藤は右鞭を抜いた。
ブルンとエンジンを掛けられた栗毛は、力強くゴール板へ突き進む。シュッと鋭く切れる格好良さはない。大型の重機などに漂う、野郎が憧れる格好良さを見せつけ、5つ目のタイトルを手にしたのだった。
マイルCS、安田記念、マイルCSと、マイルGIを3連覇したダイワメジャー。懐を見ると、10億円という大金が入っていた。ノド鳴りの一件を考えると、本当によく頑張ったと労いたくなる。
名馬の中の名馬として語り継がれる10億円ホースの仲間入りを果たした彼も、いよいよ引退の時を迎える。第52回有馬記念。前年は第2位、この年は第3位で選ばれたダイワメジャーは、ここで妹と初めて顔を合わす。
母の名を受け継いだ妹、ダイワスカーレット。
青春ドラマ、スポ根ドラマ、奇跡のドラマ、と様々なシナリオを歩んできたダイワメジャーに、最後に用意されていたのは、兄妹ドラマだった。
妹の主戦を務めていたのも安藤だったのである。さてどうするか?もし彼らが姉妹なら、昼ドラ的なものを思い浮かべるところだが、兄は、まだこれからも戦いが続く妹と安藤を結ばせた。
そんな妹思いな兄の最後の手綱を任されたのは、皐月賞で共に笑ったミルコだった。
定位置の番手には、青・白一本輪・白袖のダイワの服がいた。青いメンコを装着し安藤を乗せた妹は、兄のベストポジションである番手からレースを進めた。
一方、兄貴は内側の中団。前を行く妹を見守る様に、最後の大歓声を浴びていた。
3歳の妹は、並み居る古馬の牡に臆する事なく走り、逃げるチョウサンを、堂々と4角出口で捕まえる。しかし、内から白いシャドーロールが、祭りだ!祭りだ!と、突っ込んできた。
あっという間にダイワスカーレットを突き放したマツリダゴッホと蛯名は、ゴールへ向かってひた走る。
スカーレットは、懸命に伸びたが、差は詰まらない。
心が折れかけた、その時。背後に兄の姿があった。中山の坂で、急接近した華麗なる兄妹。兄に押された妹は、坂を登りきると、もう一度マツリダに詰め寄る脚を見せたが、1馬身と1/4及ばず2着。
兄は、これから先、安藤と競馬界をリードして行く妹の姿を、少し離れた3着の位置から見届け、ラストランを走り終えた。
通算28戦9勝。酸いも甘いも味わった競馬場に別れを告げ、ダイワメジャーは第ニの戦いに挑むべく故郷の千歳へ帰った。
父としては、カレンブラックヒル、コパノリチャードといった、自身と同じく短距離で活躍する子供達を競馬場に送り込み、人気種牡馬として過ごしている。今年のNHKマイルカップを制したメジャーエンブレムも、ダイワメジャーの仔。新・マイルの女王になるか?興味は尽きない。
改めて足跡を辿った今、デカイ栗馬、スカーレット一族のボンボン、と抱いていた印象に、ドラマティックな良血馬、という要素を加えた私は、今更ながら彼の虜になってしまっていた。