ダンスインザダーク、老衰のため死亡

1996年の菊花賞を優勝したダンスインザダークが2日、種牡馬としてけい養されていた北海道安平町の社台スタリオンステーションで老衰のため亡くなったことが明らかになった。4日、JRAが公式ホームページで発表した。

ダンスインザダークは1995年12月に阪神でデビュー。無事デビュー戦を快勝し、2戦目のラジオたんぱ杯3歳Sでは3着、3戦目のきさらぎ賞では2着善戦した。重賞3戦目となる弥生賞で初勝利を挙げると、同年の日本ダービーでは2着に好走し、秋は京都新聞杯を制して重賞2勝目を果たすと、秋2戦目の菊花賞を優勝し、G1初制覇を果たした。菊花賞後に屈腱炎を発症し、現役を引退した。

種牡馬入り後も菊花賞馬のザッツザプレンティやデルタブルース、スリーロールス、安田記念を制したツルマルボーイなどG1馬・重賞馬を多く輩出し、種牡馬としても活躍した。

ダンスインザダークは父サンデーサイレンス、母ダンシングキイ、母父Nijinskyという血統。通算成績は8戦5勝、うち重賞3勝。8戦全てで武豊騎手が騎乗した。ダンスインザダーク号のご冥福をお祈りします。