重賞2勝馬メジロマイヤーが死亡、川田将雅騎手「ありがとう」と亡きパートナーへ感謝

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2002年きさらぎ賞、2006年小倉大賞典と重賞を2勝したメジロマイヤーが4日に亡くなったことが明らかになった。同日、ジャパン・スタッドブック・インターナショナルが発表した。23歳だった。

けい養先の仲山トレーニングセンターの佐藤徳代表によると、今年に入ってから体調を崩し、連日続く暑さのせいもあり数日前からカイバ食いが悪くなったという。

メジロマイヤーは2001年9月に阪神でデビュー。翌年2002年の白梅賞快勝から重賞のきさらぎ賞へと進み、重賞初挑戦ながら番手からの積極策で重賞初制覇を達成。以降は2003年の愛知杯・3着、同年の北九州記念・4着など芝の中距離路線で活躍。

その後は長期休養明けの一戦となった2006年2月の小倉大賞典を11番人気で快勝し、2つ目の重賞勝ちを飾った。この時同馬の手綱を握った川田将雅騎手にとっては自身の重賞初勝利だった。

2008年5月8日付けでJRA競走馬登録を抹消され引退。引退後は引退名馬繋養展示事業の助成を受けて福島県南相馬市の仲山トレーニングセンターで余生を送っていた。2011年3月の東日本大震災の影響でその後は北海道に10カ月ほど避難していたが、のち福島県に戻っている。

川田騎手は4日、自身の公式インスタグラムを更新し「初めての重賞制覇をプレゼントしてくれたメジロマイヤー。ありがとう。」とつづり、パートナーの死を惜しんだ。

通算成績は32戦6勝。父サクラバクシンオー、母はJRA・3勝のメジロエルナス、母の父サッカーボーイという血統。メジロマイヤー号のご冥福をお祈りします。