中央で花開かなかった競走馬を成長させる現代の再生工場
「再生工場」と言えば、野球の野村再生工場を思い浮かべる方が多いだろうが、競馬ファンの間では川島再生工場の方が有名ではないだろうか。これは船橋競馬場の調教師である故川島正行氏の異名である。今でこそ、中央と地方の格差というものは埋まりつつあるが、昔はまったく別ものだった。言い方は悪いが、中央が1軍で地方は2軍。そんなイメージか。しかし、そんなイメージを払拭した一人が川島正行氏だろう。
1990年に僅か5馬房と恵まれない環境の中、調教師生活がスタート。しかし、2年後には早くも重賞制覇。以降も毎年のように重賞勝利を積み重ねていくのだが、その馬のほとんどが、中央競馬で見切りをつけられた馬だった。
ではなぜ中央でお役御免となった馬が、復活できたのか。生前、師はある記事でこう語っている。「牧場で故障馬の扱いを勉強した」のだと。
おそらく、中央と地方の大きな違いはここではないか。中央は鍛えて強くすることが絶対条件である。仮にその結果、故障したとしてもある種、それは仕方がなかったのだと割り切ってしまえばいい。しかし、当時の地方競馬はそこからがスタートだったのである。
ジョッキーも同様だ。なぜ、地方出身のジョッキーが乗れるのか。乗り数が違うから、経験が違うから、腕っぷしが違うから。色々と理由はあるだろう。しかし、一番は故障馬の乗り方が巧いということだ。
今、見ていて思うことは、高知競馬のジョッキーは特にその点が優れているように思う。はっきり言って高知競馬の馬のレベルは、地方競馬の中でも上位ではない。さらに、大半の馬が厳しいローテーションで使われており、脚元がギリギリの馬も多い。にもかかわらず、なぜ交流競走などに高知競馬所属の馬が多く出走するのか。それは、レースでジョッキーがいかに脚元に負担をかけずに乗っているかという証明と言えるだろう。最近は交流競走でのスポット参戦で他レースに騎乗することもあるだけに、成績が奮わない馬に騎乗しているようなら、ぜひ注目してほしい。あっと驚く馬券にありつけるかもしれない。
今は社台系の馬が地方デビューということも珍しくなくなった。地方競馬の底上げといえば聞こえはいい。現に川島厩舎にも社台系の馬は多数在厩していた。しかし、今でも中央VS地方という構図に胸をアツくするファンも少なくない。一つだけ、わがままを言わせてもらえるのなら、地方競馬で再生した馬が、中央競馬のエリート良血馬をなぎ倒す。そんな痛快なシーンをもう一度は見てみたいものである。