皆さんにとっての女傑といえば?メジャーエンブレムは並ぶことができるか

今週は牝馬クラシックの第一弾桜花賞が行われます。おそらく、メジャーエンブレム1強ムードの様相で、勝ちっぷりに焦点が集まるレース。女傑の新たな歴史がここからスタートするのでしょうか。

皆さんにとっての「女傑」は何でしょうか。時代はもちろん、カテゴリーなど違いもあって様々な馬が思い浮かぶと思いますが、私にとっては今でもヒシアマゾンが一番の女傑だと信じて疑いません。

シアトリカル産駒の外国産馬として、1993年に美浦・中野隆良厩舎からデビューをしたヒシアマゾン。新馬戦を快勝すると、プラタナス賞2着→京成杯3歳S2着と好走し、牝馬チャンピオン決定戦の阪神3歳牝馬Sへと駒を進めます。そしてこのレースで2着馬に5馬身もの大差をつける圧勝劇を演じ、一躍スターダムへとのし上がったのです。

明けて4歳。初戦の京成杯は2着と取りこぼしますが、その後はGIエリザベス女王杯制覇を含む、重賞6連勝の快進撃。そして暮れの大一番、有馬記念へと駒を進めます。そこに立ちはだかったのが、皇帝シンボリルドルフさえも凌駕したと言われた3冠馬ナリタブライアンでした。

結果はナリタブライアンに3馬身差の2着と完敗だったわけですが、勝負所で唯一ナリタブライアンに勝負を仕掛ける競馬が出来たのが、ヒシアマゾンだけだったことを思えば、負けて強しの表現がピタリと当たる内容だったように思います。

この有馬記念2着ももちろん、ヒシアマゾンの強さを象徴する一戦なわけですが、それ以上に素晴らしかったのが、1995年の京都大賞典です。上り34秒6の末脚で、逃げ込みを図るタマモハイウェイを一飲みしてしまったレース振りは、背筋がゾクッとしたことを今でも鮮明に覚えています。当時の競馬で牝馬がクラシックディスタンスで結果を残すということは非常に大変なことであり、2400での勝ち星があるオークス馬やエリザベス女王杯馬でも古馬になれば、まったく通用しないのが当たり前でした。

ダイワスカーレットの有馬記念制覇、ウオッカのダービー制覇・・・などと比較すれば、記録上でははっきりと劣ります。それでも当時の東西のトレーニング施設の違いや、肥料や育成技術、方法も現在とはまったく異なる中でのあのパフォーマンスは、ダイワスカーレットやウオッカにも負けないものだと、今でも思っています。

皆さんにとっての「女傑」と言えば?