9月の終わり。煌びやかな都会から列車が下ってきた。行き先はそれまでいた場所とは一転し長閑な街。この列車に乗っている者達に対して私は、もう一度頑張ろう!まだまだやれるさ!と暖かいエールを送りながら列車を見送る。
しばらくすると、逆方向、つまり長閑な街から列車が上ってきた。乗っている者は疎らだが、皆、おらが町の期待を一身に背負った前途洋々な者達。同じ様に、頑張れよ!とエールを送るが、そこには上り列車に無い寂しさが含まれている。街にいつもいたヒーローが、都会へ消えて行くからだ。勿論、都会へ行こうとも応援はするが、身近さは薄まる。手が届かなくなる遠い存在になってしまうことに寂しさを感じるのだ。
列車が見えなくなると私は、おらが町で強い馬子が現れても、すぐに見つかり摘まれて、どこか遠くへ行っちまう…。と呟きながら、長閑な街へ帰り、俯きながら酒を呑んで、在りし日の思い出に独り浸る。
1989年。山口瞳も小説の舞台で取り上げた公営川崎競馬に一頭の駿馬が現れた。ラテン語で「谷間に咲く百合」という意味の名を授かったこの駿馬は、数多の名馬と名手が歴史を紡いできた南関競馬に名を刻むべく戦いをスタートさせた。
公営浦和の桜花賞。中央のそれと同じく、桜を冠に戴くこのクラシック競走で、彼女は百合の花を咲かせた。舞台はダート。スピードよりもパワーとスタミナがモノを言うタフな桜花賞で、ただ一頭、弾む様なスピードを見せつけた。春風に吹かれて、気持ち良さそうに走る百合の花。着差は2馬身半。別段驚く様な着差では無いが、この僅かな差には、永久に詰められない、底知れぬ強さがあった。
桜の下で咲いた彼女が次に挑んで来たのは牡馬クラシック戦線。昭和の怪物ハイセイコーも挑みかけた、レベルの高い南関競馬の牡馬クラシックに牝馬が挑む。幾ら何でも家賃が高いか?
1989年南関東牡馬クラシック競走の一冠目羽田盃。桑島孝春、的場文男、石崎隆之というオッカナイおじさん達を背にした牡馬達に真っ向から挑んだ。
逆光の中迎えた最後の直線。内で力強く走る牡馬達の外から、彼女は例のスピードであっという間に並びかけた。背上にいる野崎はほとんど手を動かさず、彼女の行くままに走らせた。着差はまたもや僅差。ただ、もう着差の大小云々では無い。この馬は、トンデモナイバケモノだ!恐らく誰もがそう思った。
二冠目の東京ダービー。馬なりで捲り4角持ったままで先頭へ。ダービータイトルを渇望する的場文男ホクテンホルダーの隣を軽やかに駆け抜け、残り100mで一気に突き放した。ただただ強い、圧巻の2冠奪取劇だった。
堂々と南関東牡馬クラシック2冠を達成した彼女は、勢いそのままに古馬に挑んだ。地元川崎で行われる報知オールスターカップ。久々にホームグラウンドに降り立った彼女に待ち受けていたのは久々の敗戦だった。外から抜け出し勝利を確信した瞬間、内から再び伸びてきたダイタクジーニアス。鞍上は川崎が世界に誇る鉄人、佐々木竹見。地元の鉄人は、彼女の前に名の如く鉄壁として立ち塞がった。
秋が訪れる前、彼女の元へ列車が来た。上り、都会行きの列車。彼女は、この列車に乗り、都会へ上って行った。強い者、素質ある者は、長閑な街に留まることを周りが許さない。更に大きな夢を見るために、煌びやかな場所へ連れて行かれる。それは例え3冠リーチの状態でも関係無い…。
しかし、彼女は住まいを川崎に残したままだった。1戦交えた後、彼女は下り列車に乗って、また帰って来る。この場合の送り出し方は、ただ一つ。
都会の連中に一泡吹かせて来い!
川崎を愛し、そこしか宿り木の無い連中は、大手を振って彼女を送り出した。
1989年中山オールカマー。役人が勝手気儘に拵えた2重競馬の壁は思ったより厚いもので、同じサラブレッド、同じ騎手なのに、好き勝手に近所の中山や東京で走ることは出来ない。このオールカマーという重賞競走を含めた、ほんの僅かな競走のみ出走を許されていた。格はGⅡ。しかし、各地に散らばるサラブレッドと騎手にとっては檜舞台である。
初めて走る鮮やかな緑の芝生で彼女は果敢に先行策を採った。手応え抜群、絶好位の3番手。野崎の手はまだ動いていない。これなら勝てる…。期待が高まり迎えた直線、外から楽に並びかけ、突き抜けるシーンが流れるはずだったが、彼女にいつもの伸びは無かった。中山名物の急坂の手前で、一頭の灰色の馬が寄ってきた。その灰色の馬は、ステッキを入れられることなく、坂を登り、彼女を突き放した。
勝った灰色の馬は、笠松から上り列車に乗って、都会に引っ越すと、鬼神の様な走りでライバル達を痛め付け、見事に都会でスーパースターになった馬だった。
下り列車が入線してくる。時節柄、一頭ではなく、大勢の新しい入居者と一緒に、彼女は川崎に戻ってきた。次に目指すは東京王冠賞。自分を待ってくれていた南関の人々に歴史的瞬間を目撃させなくてはならないのだ。芝生の緑の鮮やかさの余韻に浸っている時間など彼女には無かった。
三冠目、東京王冠賞。距離はダート2600。最後の一滴まで力を振り絞ることを要求される最後の関門。果たして牝馬が三冠を制するのか…?
2周目の向こう正面。少しずつ進出を開始。4角はいつも通りの楽な手応えで回り直線へ向かう。気ままに走らせていた野崎のステッキが早くも唸った。反応が鈍い。流石の彼女でも2600はキツかった。それでも残された力をどうにかして絞り出し必死に走った。鼻先、頭、体半分と徐々に前へ出る。あと100mだ。内でバテたと思っていた本間のトウケイグランディが出し抜けに伸びてきた。蘇る川崎の敗戦。あの時も、やった!と思った刹那に内から掬われた。
残り50m過ぎ。砂の神さんが微笑みかけたのは彼女だった。1馬身差つけて飛び込んだゴールは、三冠制覇のウイニングポストだった。彼女にはチョイと申し訳ないがトウケイグランディも称えたい。あの最後の急追した姿はカッコよかった。野郎の意地がヒシヒシと伝わってきたぞ。お前はよくやった。
3冠、それも牡馬の3冠ロードを圧倒的な強さで制した。歴史が創造された瞬間を目撃して、誰かが呟いた
この馬なら中央のGIでも…。
再び上り列車が来た。行き先は府中。今度は都会の連中にプラス、世界の連中も相手。しかし、おらが町で生まれた強い優駿。無謀だ、と嘲笑われようが、川崎、いや南関競馬を愛する人々は彼女の強さに惚れている。タフなダートを風の様に走り抜ける強さは世界が束になっても敵わない。笑わば笑え。
ジャパンカップ。イギリスのイブンベイ、アメリカのホークスターが世界レベルのペースで引っ張る流れに彼女は付いて行けなかった。前回の中山で見せた先行策も採れず、終始後方を進み、直線も前へ出る事が出来なかった。
彼女の遥か前方で死闘を演じていたのはニュージーランドからやって来たホーリックスと、中山で戦った灰色の彼だった。2頭の芦毛が叩き出したレースタイムは、2:22.2。芝2400mの世界レコードで、彼らは駆け抜けた。
世界戦は惨敗だった。世間は日豪の優駿が見せた死闘で騒ぎ、誰も南関東3冠馬の彼女に振り向かなかった。しかし、彼女には何よりも心強い南関東のファンがいた。南関のファンは、惨敗した彼女を暖かくホームへ迎え入れた。
そして挑んだ東京大賞典。大好きな南関東で彼女はいつも通り走った。直線、変わらず野崎の手綱はプランプランで、彼女の気の向くままに駆けさせた。変わらぬ強さで駆け抜ける彼女を見て、南関東の人々は南関東最強馬の称号を贈った。ハイセイコーではない。彼女こそが南関東最強馬だ!
ちなみにこの時2着に負かしたのはスイフトセイダイ。東北で暮らしていた彼は東京大賞典に挑むために、南関へスポット移籍しレースへ挑んでいた。その後、故郷の東北へ帰り一時代を築くことになるのだが、それはまたどこかで…。
別れの日。あの駅に停まる列車は、都会にも世界にも行かない。行き先は牧場。この列車に乗れるサラブレッドはほんの一握り。父として、母として、血を後世に伝える事を求められた優駿のみが乗車を許されるのだ。
彼女は慣れ親しんだ川崎で現役最後の走りを人々に見せることにした。
1990年川崎記念。それまでの入場人員数の記録を更新する多くのファンが川崎に駆けつけた。出走頭数は8頭。もちろん一番人気は最強馬の彼女。オッズは1.0倍。彼女以外の出走馬は、皆100倍を超えるマンシュウオッズ。競馬場にいた全ての人々が彼女の勝利を信じていた。こんな馬は世界中探してもいない。
川崎記念。彼女にとって最後のゲートが開く。森下のダービラウンドが好発からハナを奪い、逃げると目されていた佐々木のワールドプラックの出鼻を挫いた。彼女はこの2頭と、笠松から安藤勝己とやって来たイーグルジャムの後ろ4番手に付けた。1周目のホームストレッチ。ギッシリ埋まったスタンドから大歓声が沸き起こる。
レースが動き始めたのは2周目の向こう正面。彼女は全く自然に番手まで浮上すると、3角前で早くも先頭へ並びかけた。
並びかけられたダービラウンドも抵抗を開始する。しかし、彼女はその抵抗を馬なりで往なして持ったままで最後の直線へ入った。
森下がステッキを振るいダービラウンドを押す隣で、野崎は後ろを振り返っていた。
スタートからゴールまで終始馬なり。彼女が最後に見せた走りは、見る者を唖然とさせると同時に、川崎の短い直線に恨みを抱かせた。
もっとこの直線が長ければ、この素晴らしい時間を長く過ごせたのに…。
その後、無事にお母さんとなった彼女はほぼ毎年子供を授かる。カマド馬として牧場で子育てに追われる日々を過ごした。
1997年、パラダイスクリークとの間に6頭目の子供を授かった。カネツフルーヴと名付けられた息子は、母と同じくダートで活躍し、帝王賞と川崎記念を制した。
長女シスターソノも母となっていた。そして長女も1997年にコマンダーインチーフとの間に息子を授かっている。与えられた名前はレギュラーメンバー。彼女にとって孫にあたるこの馬も川崎記念を制した。
一族三代に渡っての川崎記念制覇。
私はこの記録を見て、彼女は心底、川崎と南関競馬を愛していたのだろう、と思った。
南関東に咲いた百合の花、ロジータ。
その花弁の色は、オレンジ色だろうか。
オレンジの百合の花言葉は、華麗と愉快である。