ゴドルフィンの礎を築いた名牝・バランシーンが30歳で亡くなる

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1994年のイギリスオークス、アイルランドダービーを制したバランシーンが、先月2月12日に30歳で亡くなりました。

父ストームバード、母モーニングディポージョン、母の父アファームドという血統背景で、アメリカ産の栗毛で、ゴドルフィンの記念すべき最初のクラシック勝ち馬として名高い1頭です。

日本と縁がなさそうに思えますが、イギリスオークスでは後にディープインパクトの母となるウインドインハーヘアに2馬身半差をつけて勝利しています。

ホワイトマズルなどを管理していたイギリスのピーター・チャップルハイム厩舎からデビューし、2歳時は2戦2勝で、その後ゴドルフィンを創設したシェイク・マクトゥームとシェイク・モハメドに金銭トレードされ、ドバイのヒラール・イブラハム厩舎に移籍しました。

3歳になってからイギリス1000ギニーが行われるイギリスに移動し、ドバイからの輸送という臨戦過程も嫌われたのか戦績に見劣りする7番人気という低評価を受けましたが、覆して2着に好走します。

結果的にその走りが2冠目となるイギリスオークス勝利へとつながり、牝馬ながらアイルランドダービーはなんと4馬身差の圧勝を演じました。

さらなる飛躍が期待されたものの、疝痛の発作もあり、古馬になってからは3戦しかできず、ラムタラが勝利した1995年の凱旋門賞10着をもって引退し、繁殖牝馬として4頭の勝ち馬を出産しました。

結果的には自身を越える産駒は出せなかったものの、晩年は初期のゴドルフィンを象徴する功労馬として、故郷といえるアメリカのゲインズボローファームで静かに余生を送りました。

天国に旅立った6日後の2月18日には、UAEのメイダン競馬場で功績を称える為、2004年に創設された牝馬限定G2のバランシーンSが追悼競走として行われるなど、その名を惜しむ競馬ファンはいまだに多くいます。

勝負服を身にまとうことが名誉とまでいわれるゴドルフィンの礎を築いたバランシーンの名は、多くの競馬ファンにとっても、今後忘れられない1頭となるのではないでしょうか。