【追憶の名馬面】クロフネ

道中は番手を追走。ややエキサイトする場面もあったが、馬乗りの天才、四位洋文はテン乗りながら上手く宥めた。4コーナー出中間付近。四位はチラッと後方を確認した。再び視線を前へ向けると、逃げるロイヤルキャンサーに並びかけ、直線入り口前で、早々と先頭に立った。

ここからクロフネの独走劇が始まる。大きなストライドで躍動し、坂も何も関係なく伸びた。四位が追えば追うほど、その走りは力強さを増し、どこまででも駆けていきそうな感じだった。

つけた着差は5馬身。勝ちタイム1:58.6は、古馬のレコードタイムに0秒3差の文句無しの時計だった。

完璧な船出を飾ったクロフネだったが、青葉賞or京都新聞杯でV、もしくはNHKマイルカップで2着以内に入らなければ、ダービーへは出られない。

松田は、NHKマイルカップからダービー、という進路へ舵を切った。マイルから2400m。全くカテゴリーが違う競走だが、松田はクロフネが種牡馬になった時の価値を考慮して、マイルでもクラシックディスタンスでも強い。という金看板を彼に与えたかったのだ。

のちにマツクニローテと言われるこの過程を、才能溢れる後輩達が歩むわけだが、その道を切り開いたのはクロフネである。ということは覚えていてやりたい。

5月6日、府中。青写真通りクロフネは、この日のメインレース、第6回NHKマイルカップに挑んだ。マル外のダービーと言われるこのレースも、彼にとってはあくまで通過点。約2週間後に行われる祭典へ向かうためには、何が何でも勝たなくてはならない。その思いを叶えるため、陣営は武豊に手綱を託した。

噂の怪物と初めてコンタクトをとった武は、彼の恐ろしいまでの馬力に驚き、操縦の難しさを予感した。勝手に走らせれば、どこへ行くかわからない。数多の名馬の手綱を握ってきた天才も、初めて味わうパワフルさだった。

これまでの先行策から一転、クロフネは後方4番手くらいからの追走となった。武はダービーを意識して、クロフネに新しい競馬を教え込んだ。

単騎で行ったグラスエイコウオーと村田一誠が、楽な手応えで直線に入る頃、先行集団のすぐ後ろにクロフネは浮上していた。

しかし、坂を登ってもグラスエイコウオーの逃げ脚は衰えない。反対にクロフネは、やや伸びが鈍い。外からは公営岩手のネイティヴハートらが勢い良く伸びてきた。このままだと2着も危うい…。

坂を登る頃、逞しい汽笛が府中にも響き渡たった。クロフネ襲来。あの大きなスライドを繰り出し、一完歩ずつグラスに迫る。5馬身くらいあった差は、みるみるうちに縮まり、ゴール前ギリギリで、僅かに半馬身、前へ出た。

ヒヤッとしました。というレース後の武の談話を考察すると、本当にヤバかったということが読み取れる。何はともあれ、無事にダービへの切符は取れた。武は、クロフネに切符を渡し、フランスへ帰って行った。この男は、いつの時代でもクールな騎手である。

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