【追憶の名馬面】クロフネ

幾ら何でも、早過ぎないか?

観衆はどよめいたが、武の手は全く動いていない。つまり、これがクロフネの普通なのだ。末恐ろしい馬である。

さすがのアメリカンホースたちも焦りを見せ始めた。そんな彼らに構うことなく、クロフネは3角マクリという荒技を披露し、4コーナーを迎える頃には、完全に先頭に立っていた。

日本のダートで栄光を掴むため、遥々アメリカからやってきた馬が、日本のクロフネにやられるというのは、なんとも痛烈な洒落である。

直線の走りについては、イキって形容する必要もない。ただ一言、強い。この言葉で十分である。それでも…と思う方は、直線でノボトゥルーとクロフネを見比べてみてほしい。彼の能力が如何に、ズバ抜けていたのかがスグに分かる。(ノボトゥルーには、チョット申し訳ないけど…)

星空が広がる砂漠で輝く姿、或いはチャーチルダウンズの三角塔の下で、花のレイを首にぶら下げる姿もイイ…。その日、彼のレースを見た人々は、思い思いの光景を空想しただろう。もう攘夷も開国も関係ない。全ての人が、クロフネに乗船し、まだ見たことがない新たな世界への出港に思いを馳せた。

しかし、出港を報せる汽笛が鳴ることはなかった。世間がクリスマスムードに染まる中、クロフネに病が見つかった。右前浅屈腱炎、全治に9ヶ月以上要する重症だった。陣営は、引退を決断。12月26日、クロフネは競走馬登録を抹消され、独り新たな船出へ繰り出して行った。

クロフネが去った後の日本競馬界は、更なる成長を遂げ、パートⅠ国、いわゆる競馬主要国のグループに仲間入りした。今では、外国産馬は勿論、カク外と呼ばれる海外馬も、ほぼ全てのレースに、自由に挑めるようになった。

これも全てクロフネのお陰、というのは誇大気味になってしまうが、彼が新たな時代の門を開き、日本競馬の可能性を示唆してくれたのは疑いようのない事実だろう。

もし、外国産馬に対し厳しいルールが定められたままだったら。
もし、あの時、グラスエイコウオーに敗れていたら。
もし、そのまま天皇賞に挑んでいれば。

もし、怪我をしなければ。

クロフネのifを考えると、いまだに私は、年甲斐もなく、少年の様にワクワクしてしまう。いつの日か、また彼のような馬と競馬場で逢いたいものだ。