【追憶の名馬面】ペルーサ
圧巻の走りを見せた青葉賞から、5年3ヶ月と8日の歳月が流れた2015年8月8日の札幌競馬場。この日のメインレース、札幌日経OPに彼の姿はあった。
私は、この時のペルーサに土方歳三の姿を重ねてしまう。新撰組の鬼の副長として京都で恐れられた土方は、幕府が滅び、賊軍の汚名を着せられても、最後の最後まで武士として戦い続け、1869年、五稜郭で戦死した。
もうこれ以上、先に競馬場はない。最北端まで追い込まれたペルーサは、過去の栄光を捨て去る作戦に打って出る。
スタートは決まった。ペルーサフリーク達は、この時点で彼を褒めてやりたい気持ちで溢れかえった事だろう。杉原のグランデスバル、津村のタマモベストプレイの後ろ、3番手くらいにクリストフはペルーサを付けさせた。1周目のホームストレート、タマモベストプレイがマイペースに持ち込もうとした時、ペルーサはハナを奪い取った。後方から鋭く差す、というスタイルで、これまで駆け抜けてきた馬が、8歳にして戦法を変える。奇襲か、それとも最期くらい先頭で走らせてやりたい、という思い出作りか…。
2周目2コーナーまでにリードを広げたペルーサ。気持ちよさそうに札幌の馬場を疾走する。番手以降のマークはそこまでキツくない。このまま行けばハマる。私は、福永のアドマイヤフライトの単勝を握っていたが、自分の馬券より、今もう一度光を…と逃げる高齢馬に目を奪われていた。
3コーナー手前で、クリストフは後続を引きつけた。番手以降の馬達が、栗毛の爺さんに襲いかかる。しかし、先頭は頑なに譲らなかった。あくまで引きつけただけ。
ペルーサが先頭で直線に入る。クリストフが、満を持してスパートを開始すると、彼は二の脚を使って突き離し始めた。
ペルーサ先頭。外からタマモベストプレイが津村の激に応えてしぶとく伸びてきた。
やめろ!津村!堪忍したってくれ!
アドマイヤフライトには申し訳ないが、最後の200m付近から、私はペルーサしか見ていなかった。2回目のウイニングポストをトップで駆け抜けたのは、栗毛の爺さん、かつてダービー最有力候補と言われたペルーサだった。
クリストフは、優しく彼の頭を撫で、久々の勝利を挙げた老雄を祝福した。
5年3ヶ月と8日ぶりの勝利。これはJRAの記録の中で歴代最長の記録である。この記録的な勝利を、私はパークウインズ阪神の指定席で見ていた。彼がトップでゴール板を通過した時、隣に座っていた知らない兄ちゃんと、騒ぎながら握手を交わし、その勝利を祝った。ちなみに、2人とも馬券はスっている。
私達だけではない。周りにいた馬好きの連中も、方々でペルーサが勝ったことに喜びの声をあげていた。
その歓喜のVから9ヶ月後の2016年7月1日、彼はターフに別れを告げた。重賞成績は青葉賞の1勝のみだったが、新聞は写真付きで彼の引退を報じた。この部分からも、彼がいかに大衆から愛されていたか、ということがよく分かる。
果たして今度は種牡馬として、どの様な子供達を送り込んでくるのだろうか?親父同様、出遅れ癖のある産駒が現れた時は、また笑って許してやろう。