追憶の名馬面【スペシャルウィーク】第1話「ライバル」

1997年。

育成期間を終えた仔馬は、名をもらい栗東の白井寿昭厩舎に入厩した。調教を見守った白井は、走りの癖を見て、かつて手掛けたダンスパートナーに似ている、という感想を持った。

この調教に騎乗したのは武豊。数多の名馬の背を知る天才は、まだ海のモノか山のモノか分からない若駒の素質を、スグに見抜いた。

ダービーを獲れるかも知れない…。

武は早くも来春の大舞台を想像し、馬から降りて白井に、その感触を伝えた。

「ダンスインザダークに似ていますね。」

11月29日。阪神の芝1600mで、デビューの時を迎えた。前評判の高さを聞きつけたファンは、1.4倍の圧倒的一番人気に支持した。3番手くらいで流れに乗り、直線に入って武がスパートの合図を送ると、類い稀ない瞬発力を見せつけ見事に初陣を飾った。

どうやら攻め馬の感触は、ホンモノらしい。夢に描く府中の大舞台が、少しずつ現実味を帯びてくる。2歳時は、この一戦のみで終わり、明けて1998年。年明けの京都の条件戦、白梅賞に挑んだ。人気はもちろん圧倒的一番人気。中団から進んだが、勝負所で前が塞がる不利に見舞われた。それを捌き、伸び脚が繰り出された瞬間、公営笠松のアサヒクリークに、内から差し切られ2着に敗れた。

まさかの敗戦となったが敗因は明らかだった。調整不足。白井はあと一週あれば完璧な状態だったと語り、同時に不足気味の状態でここまで走ったスペシャルウィークの才能に、改めて驚いたという。

素質があることは分かった。しかし、ダービーへ出るには、賞金を積み重ねなければならない。刻一刻とリミットが近づく状況で、陣営が選択したのは、格上挑戦できさらぎ賞に挑むというプランだった。

格上挑戦というと、普通は軽視する要素だが、スペシャルウィークの能力を知っていたファンは、ここでも一番人気に支持した。

負ければ道が険しくなる。そんなギリギリの状況下で挑んだスペシャルウィークは、3馬身半差の圧勝を事も無げにやり遂げ、クラシックロードに乗った。

もし、白梅賞を勝っていたら、きさらぎ賞ではなく共同通信杯を使う予定だったという。1998年の共同通信杯は、雪の影響で芝からダートへ施行条件を変更し、行われている。

このダートの共同通信杯を勝ったのがエルコンドルパサー。

スペシャルウィークにダートの適性があったかどうかは分からないが、仮にあったとしても、エルコンドルパサーには敵わなかっただろう。

能力、そして運もある。

大きな野望を抱き、一向は西の大将格として東上した。

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