【追憶の名馬面】スペシャルウィーク 最終話「最後の宿敵」
天皇賞春秋連覇、ジャパンカップでモンジュー撃破。絶対王者に君臨したダービー馬も、いよいよ最後の一戦を迎える。
12月26日、中山競馬場。第44回有馬記念。
名馬の復活劇、アッと驚く伏兵の激走、怪物が怪物らしく駆け抜けた姿…。様々なシーンを、私達に見せてくれた90年代のグランプリ。その掉尾を飾る舞台にスペシャルウィーク、そしてグラスワンダーが挑んだ。
彼らだけではない。血気盛んな若馬テイエムオペラオーやナリタトップロード。復権を狙う古豪メジロブライトに、悲願のGIを目指すステイゴールド。野郎共しかいなければ、むさ苦しさしかないが、ファレノプシスとフサイチエアデールという才女がいた。もちろん彼女達は、コンパニオンではなく、本気でグランプリのタイトルを獲りに挑んできたライバルである。
日本競馬が飛躍的な進化を遂げた90年代最後の、グランプリレースが始まった。
確固たる逃げ馬がおらず、誰がハナを叩くのか?と注目された主導権争いは、8枠の2騎、芹沢のゴーイングスズカと柴田善臣のダイワオーシュウが主張し合った。結局、やや強引に出したゴーイングスズカがハナに立ち、続け番手にダイワオーシュウ、最内枠を引いた渡辺のナリタトップロードが3番手に付け、隊列は落ち着いた。
スペシャルウィークは最後方。ここ2戦で驚異の追い込み脚を見せた相棒を信じ、武はトリッキーな中山にもかかわらず、この位置に付けた。末脚を溜める彼らの3馬身ほど前に、グラスワンダーと的場。宝塚記念と真逆の位置で、最強の2騎は、静かに進んだ。
不気味なほど静かだった。淡々と、15頭の選ばれた馬達が師走の中山を駆けていく。
このまま、静かに決着するのか?それとも、これは嵐の前の静けさなのか?
グランプリを見るために詰めかけた大観衆は、恐らく後者の答えの選んだ、いや、そうなって欲しい、と願ったことだろう。
1000mを過ぎた頃、スペシャルウィークは武に対して、前へ行きたい、というサインを送った。しかし、鞍上からはまだ早い、と返される。ここで前へ出ればやられる。長手綱の状態を維持し相棒を宥めて、天才は機会を狙った。
3コーナー中間地点で、前にいたグラスワンダーが藤田のツルマルツヨシと併せ馬で浮上を開始。
武はその瞬間を見逃さなかった。一気には出さない。あくまで少しずつ、スペシャルウィークを、グラスワンダーの背後へ浮上させた。
ゴーイングスズカ、ナリタトップロード、ツルマルツヨシ、グラスワンダーの4頭が並んで4コーナーを回り直線へ入った。
皇帝の血を受け継いだツルマルツヨシが力強く馬場を蹴散らす。その後ろから、グラスワンダーが来た。的場のアクションに応え、坂を登り、グランプリ連覇へ向かって突進していく。
ここだ…。
武は、グラスワンダーがスパートを開始したのを確認すると、スペシャルウィークを外へ出した。脚色は良い。差し切れる。
坂で並ぶ両雄。態勢はスペシャルの方が有利。しかし、グラスワンダーも止まらない。がっぷり四つで競り合う2頭の内から、若馬テイエムオペラオーもグングンと脚を伸ばす。和田の必死の追いに応え、一瞬、オペラオーが先頭に立った。
次代を担う若者が、両雄を屠り、新たな物語を始めるシナリオのページが記されようとした時、師走の風がそれを引きちぎった。
グラスが最後の一滴を振り絞り、前へ出る。スペシャルは、それを猛烈な勢いで止めにかかる。
グラスか、スペシャルか。
的場か、武か。
2頭の優駿と、2人の名手が最後に見せた競り合いの結末を、ファンは瞬間に理解できなかった。
着順掲示板の1、2着欄に数字は灯らず、右横の小さな四角に「写」とだけ点灯していた。
馬場を見ると、スペシャルウィークが悠然とキャンターを行っていた。武は小さなガッツポーズを見せ、相棒の首筋を叩き、勝利の余韻に浸った。
スタンドからユタカコールが響いた時、空欄だった掲示板に数字が灯った。
1着⑦
2着③
着差はハナ。物体間の距離を測る単位に換算すれば4cm。これでも勝者と敗者に、分けられるのだから、競馬というのは厳しいものである。
最後の最後まで、グラスワンダーには敵わなかった。3馬身から4cmに差を詰めても、負けは負け。しかし、今、目の前で彼らの死闘を見た人々にとって、科学の進歩で導き出された結果など、どうでもよかった。勝ったグラスワンダーには、最大限の祝福、今日でターフを去るスペシャルウィークには、労いの言葉を贈り、90年代最後のグランプリは幕を閉じた。