胸が高鳴る!競馬場のファンファーレの秘密に迫る

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競馬をみたことがある人なら一度は聞いたことがあるのが、出走前に流れる『ファンファーレ』。耳にすると胸が高鳴るというファンも少なくはないのではないでしょうか。競馬といえば、日本では『公営競技』のひとつとして長く不動の人気を誇っていますが、最近ではオンラインでブックメーカーを介してベッティングを楽しむファンも増えてきていると言われています。ここではよく知られているのに作曲者は誰なのか、いつごろから使われるようになったのかなど、意外に知られていない競馬のファンファーレの秘密に迫ってみたいと思います。

競馬のファンファーレの歴史

G1レースでは生演奏されることもあるファンファーレ。その調べとともに観客の手拍子や合いの手のコールが起きることも風物詩となっていますよね。でも実はこれ、他の国の競馬レースではほとんど見られない光景なのをご存知でしょうか。アメリカのケンタッキーダービーでは『Call to Post』がファンファーレとして使用されているものの、基本的には日本特有の習慣と言ってもいいぐらい、珍しいことなのです。しかし、その日本でも昔から行われていたわけではありませんでした。1959年、日本短波放送(現:ラジオNIKKEI)が中央競馬実況中継の放送にて、発走のタイミングが場内の音声のみでは分かりづらいことから、エドゥアルト・シュトラウス1世作曲の『テープは切られた』をファンファーレとして流しはじめたのが最初だと言われています。これを日本中央競馬会が気に入り、数ヶ月後には競馬場内でも流されるようになりました。1987年に日本中央競馬会の略称がNCKからJRAに変更されたことにともない、同年12月からまずは東京・中山・京都・阪神の『4大場』と呼ばれる競馬場でのファンファーレが変更されました。残りの6競馬場については翌1988年の春開催時までは旧来のファンファーレが引き続き使用されていましたが、同年6月の夏競馬開幕時には現行のものに変更されました。

豪華な作曲陣

競馬ファンならご存知かもしれませんが、ファンファーレの曲は一種類だけではありません。競馬場やレースの条件によって流れる音楽が異なっており、その種類は大きく分けて『札幌・函館競馬場』『福島・新潟競馬場』『東京・中山競馬場』『京都・阪神競馬場』『小倉・中京競馬場』用の5種類があります。さらに、それらの中でも一般レース、特別レース、重賞レースなどのレース条件によって異なるものが使用されているのですから、思っている以上にたくさんの種類のファンファーレが流されているんですね。

さらに、一般的にあまり知られていませんが、実は作曲者もそうそうたるメンバーなのです。東京競馬場・中山競馬場のファンファーレを作曲したのは、かの『ドラゴンクエスト』のテーマ曲などでも知られる『すぎやまこういち』。京都競馬場・阪神競馬場のファンファーレを作曲したのは、日本の往年のポップス曲を数多く作曲した『宮川泰』。同じく日本の歌謡曲史に多大な影響を与えた『服部勝久』が福島競馬場・新潟競馬場のファンファーレを作曲したりと、人々の耳に残るのも納得の名作曲家揃いなのです。また、宝塚記念(阪神)に限っては一般公募で選ばれたファンファーレが1999年から使用されているんど、意外に奥の深い世界でもあります。

地方競馬のファンファーレ

地方競馬にも中央競馬と同じように、各競馬場によって様々なファンファーレが使われています。しかも、実は中央競馬とはまた一味違ってファンファーレに曲名があるのが特徴となっています。その曲名も、名古屋競馬場の『GLORIA』や『PRIDE』、『VICTORY』にはじまり、大井競馬場の『勝利への序幕』や『駿馬、翔ぶ』、『優駿の名のもとに』、『英雄への蹄史』、『TWILIGHT CHALLENGE たそがれの挑戦』、『神聖なる優者達へ』と、耳にしただけで競馬のロマンを感じるような曲名が並んでいます。こうしたファンファーレ、一度聞いてみたいと思われた方も多いかと思いますが、最近では各競馬場の公式ホームページでも聞くことができるようになっていますので、それぞれ聞き比べてみるのも面白いかもしれませんね。

出走前に流れるファンファーレひとつとってみても、このように知れば知るほど奥が深いのが競馬の世界でもあります。しかし、今はわざわざ競馬場まで足を運ばなくても、自宅のソファからオンラインで気軽に楽しめる時代になりました。それどころか、日本国内だけでなく、イギリスで開催されるロイヤルアスコットなど、海外の有名なレースに挑戦することもできます。ファンファーレに胸躍らせながら、様々なレースを楽しんでみてくださいね。

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