【追憶の名馬面】オグリキャップ
人類皆平等、というが仔細に観察すると、大なり小なり、差は存在している。
貧富の差、頭脳の差、魅力の差…。色々あるそれを意識した時「頑張って差を埋めよう!」と努力する者と「馬鹿野郎、クソッタレめ…」と荒む者に分かれる。
常に楽して生きたい、と願うボンクラな私は、もちろん後者。秀でた人々を、ひたすらやっかみ、酒を飲んでクダを巻いて荒んでいる。やれやれ、我ながら本当に救いようがない、と情けなく思う次第である。
この差を優劣という言葉に置き換えて考えると、優に存在する者達は、意外や意外、人気が出ない。贅沢な話だが、大衆は完全無欠よりも、僅かにキズがあったり、ダメな面がある方を愛する傾向にあるらしい。
特に、優の者達を完膚なきまで叩きのめす劣者なんてのは、文句ナシで大衆の心を鷲掴みにし、スーパーヒーローとして祭り上げられていく。
我々が暮らす人間社会では、滅多にお目にかかれないこのスーパーヒーロー現象も、競馬の世界なら容易く見ることが出来る。
一般的に、中央より劣ると言われている公営競馬から殴り込んできたハイセイコーは、競馬とは全く関係ない少年誌の表紙を飾り、ファンレターまで貰うヒーローになった。
少し違うかもしれないけど、無敵の皇帝シンボリルドルフを、1985年の天皇賞秋で負かしたギャロップダイナにも、ヒーローの気質があった。
しかし、ハイセイコーよりもギャロップダイナよりも、大衆の心を掴んだのは、昭和末期から平成初期の競馬場を駆け抜けた芦毛馬、オグリキャップだったと思う。
今回は、この灰色のスーパーヒーローを振りかえってみたい。