追憶の名馬面【スペシャルウィーク】第1話「ライバル」
1995年。
サンデーサイレンス一期生の逸材達が、クラシック戦線を席巻したこの年。日本とアメリカで、5頭のサラブレッドが産まれた。同じ時を過ごすことになる彼らが作り上げた一つの物語。今回は、その物語の主人公の一頭、日本で産まれ、様々な期待を背負ったスペシャルウィークの足跡を辿ってみたい。
1995年5月2日。北海道沙流郡門別に居を構える日高大洋牧場で、彼は産声を上げた。父サンデーサイレンス、母キャンペンガール。サラブレッドにとって、何よりも大切な血筋を観察すると、母系にシラオキという馬の名前が現れる。世界に通づる優れた馬の生産を目標に掲げ、岩手に開かれた小岩井農場が輸入した基礎牝馬、いわゆる小岩井牝系から産まれたシラオキは、日本競馬の黎明期において成功を収め、一族を形成した偉大なサラブレッドであった。日米の眩い良血が交わり、世に生まれたスペシャルウィークだったが、その幼少期は寂しいものだった。
彼を産んだ5日後、キャンペンガールは疝痛でこの世を去った。母馬と一緒に過ごすというサラブレッドにとって最も幸福な時間をたった5日間しか経験出来なかった仔馬は、馬房で独り泣き喚いたという。独りぼっちになった彼に、重種の輓馬が乳母役として招かれた。しかし、この義理の母は気性が荒く、子守の役目を果たそうとしなかった。
そんな彼を孤独から救ったのは牧場のホースマン達。誰よりも人を頼ったスペシャルウィークは、人懐っこく従順な性格になり、成長していった。
競走馬として走るための育成期間に入った頃、逞しく成長した仔馬の走りは俄かに評判となった。同じ頃、彼が鍛錬を積む日高から少し離れた胆振(いぶり)という場所にも「走る馬」と騒がれた逸材がいた。その馬は、海を渡り遠路遥々、アメリカから日本へやって来た栗毛の外国産馬。
キャンペンガールか?アメリフローラか?
アメリフローラの仔。後にグラスワンダーと名付けられるライバルと、人間の口論で初めて出会ったのだった。