追憶の名馬面・エガオヲミセテ
直線は、馬場のど真ん中を堂々と進み先頭へ。マーチが粘る。同じ天気で行われた桜舞台では、一気にドーベル以下を突き離したが、桜もない、ただ雨が降るだけの阪神のマイルには、苦しさしかなかった。年下の小娘に、2度、しかも同じ舞台で負ける…。桜花賞馬にとっては、屈辱的敗戦だったでしょう。そんなマーチの涙を浴びることなく、彼女はトップでゴール板へ飛び込んだ。雨天でもよく分かる笑顔を見せながら…。
重賞2勝目を挙げ、いよいよ良血の才能が満開になると、思われましたが、マイラーズカップ以降、なかなか勝てない日々が続きました。それでも、牝馬限定戦では、シッカリ上位に食い込み、一流の姉さんの地位は守っていた。99年エリザベス女王杯は、メジロドーベルから0.2秒差の3着に来ていましたね。
2000年1月30日。彼女は東京新聞杯を走り14着と大敗してしまいました。音無師は、何とか復活を…と願い彼女を一度放牧へ出し、リセットする計画を立てた。ノンビリとした休暇を過ごすべく、彼女は宮城県の山元トレーニングセンターへ出発しました。
2000年2月11日。私は、この日、山元トレーニングセンターで起こった事故の写真が忘れられない。黒く焦げた木材、濛々と立ち込める薄い白煙…。記憶から消したいですが、なかなか…。発生した時刻は、未明とされています。恐らく、まだ外は太陽が昇る前で真っ暗。馬は早起きな動物なので、暗くても既に起きて、身の回りの世話をしてくれる、最も信頼を寄せる人間達を、首を出して待っていた馬もいたことでしょう。
しかし、首を出して耳を傾けクルクル回していた彼らは、その日の朝陽を拝むことが出来なかった。努めてボンヤリと、キツイモザイクを掛けて、ほんの僅か、1秒間、その場面を想っただけでも、目頭が熱くなります…この事に関しては、これ以上は辛くて書けません。亡くなった馬達が、今も空の上でノンビリと過ごせていますように…。