【追憶の名馬面】ダイワメジャー
だが、このグランプリは彼のためではなく、今日でターフを去る英雄のための舞台だった。3馬身と3/4離れた3着の位置から、種牡馬として北へ飛び立つ英雄を見送り、輝かしい2006年シーズンを締め括った。
ダイワメジャーに嬉しい一報が届いたのは、2007年が明けて早々の1月。前年の功績を認められ、彼は競馬会から最優秀短距離馬の称号を贈られた。
今や世界の頂に存在する日本競馬界。そこの最も優秀な短距離馬を連中が無視する筈はなかった。
世界最大のサラブレッド軍団、Darley Groupが本拠地を構えるアラブ首長国連邦から招待状が届いた。ドバイデューティフリーに出てくれないか?と、依頼されたダイワメジャーは、同じく招待を受けたアドマイヤムーンらと共に海を渡った。
ドバイミーティングは、いつの時代も私達を夢の世界へ誘おうとする。砂漠地帯の中にポッと燈るゴージャスな光は、現世に現れたオアシスといったところだろうか?是非、一度その空気を体験してみたいものである。
煌めきと熱狂が入り交じるドバイの芝に降り立ったダイワメジャー。もちろん、観光目的ではない。日本代表として、レースに勝つために彼は異国での戦いに挑んだ。
終始外を回らされる苦しい展開にも負けず、直線は一瞬先頭に立ちかけたが、残り300mの所で失速し、結果は3着。前方を見ると、見事な名月がドバイの夜空に浮かんでいた。
帰国後は、過去2回挑み、勝ちを掴めていない安田記念に出走した。彼がドバイで戦っている時、日本で春のスプリント王に輝いたスズカフェニックスに人気は譲ったが、馬からしてみれば人気なんて馬耳東風なモノである。
1枠2番から抜群のスタートを決めたダイワメジャーは、例によって番手を狙った。外から藤田伸二のコンゴウリキシオーが行き、内にいた鮫島良太のサクラメガワンダーが控えたため、狙い通りマイポジションを確保出来るはずだった。
内で落ち着こうとする海外帰りの栗毛を目掛けて、外から香港のエイブルワン、柴田善臣のマイネルスケルツィが上がってきた。道中のポジションは、包まれる形の4番手。昨年の悪夢が頭を過る。
隊列変わらず直線へ向く。前が塞がる苦しい位置だったが安藤に焦りはなかった。ジッと機会を狙い前が一瞬だけ開いた時、ギリギリの手綱捌きでダイワメジャーの進路を確保した。
馬なりで府中の坂を登る栗毛。恐ろしいくらいの手応えで登りきった時、安藤の剛腕が唸った。
逃げるコンゴウリキシオーの脚はまだある。デビューしたあの日から背負わされた"2着馬"のレッテル。それを振り払うために、ピンクのメンコが良く似合ったストラヴィンスキー産駒は懸命に脚を伸ばした。
そんな悲壮感すら漂う彼らを、ダイワメジャーと安藤は無慈悲に競り負かした。レースはいつでもガチンコなのである。そこに憐れみも労わりも必要ない。着差はクビ。しかし、この差は永遠に詰まらない。