【追憶の名馬面】キンツェム

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1876年6月2日、ブラスコヴィッチの服色で競馬場に現れたキンツェムは、ベルリンの5F戦でデビュー戦Vを飾ると、10月末まで破竹の10連勝。ただの連勝ではなく、全て違う競馬場で挙げたというのだから恐れ入る。ハンガリー、ドイツ、オーストリアと東ヨーロッパ全土を股にかけて走り回った。彼女の快進撃が始まったのだ。

この若駒離れした走りを披露できた要因として、キンツェムの輸送耐久能力が抜きん出いたことが挙げられる。当時の輸送手段は、専ら貨物列車による輸送が主なものだった。ガタンゴトンと揺れる貨物の旅を、キンツェムは好んだと言われている。
列車が到着すると「乗ります!」と嬉々とした嘶きを一声発し、誰の手も煩わせることなく自ら進んで乗り込んだらしい。現代用語で言い表すと、乗り鉄の類に入るだろう。
後に紹介する仲間達も一緒に乗り込んだことを確認すると、横になり目的地に到着するまで熟睡。何とも面白い馬である。

無敗で2歳シーズンを終え、翌1877年。クラシック戦線に挑んだ彼女は、母も制したハンガリーの1000ギニー、オーストリア・ダービーとタイトルを独占。秋になっても快進撃が止まることはなく、バーデン大賞、ブダペスト・セントレジャーとオークスもV。このシーズンは17戦して17勝。前年の星と合算すると、デビューから27連勝ということになる。
2歳時は5〜7Fと短距離戦で勝ち星を重ねたが、少女からお姉さんに成長したキンツェムは、その適性を無限大のものへ昇華させていた。
先に触れたレースの距離を順に記していくと

1000ギニー 1600m
ダービー 2400m
バーデン大賞 3200m
セントレジャー 2800m
オークス 2400m

日本的に例えれば、3歳牝馬が桜花賞、天皇賞春、ダービー、オークス、有馬記念を走って、全て勝つということになる。古馬ならまだしも、幼い3歳牝馬には、土台無理なローテーションだ。それを乗り鉄のハンガリー娘は成し遂げたのだ。

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