【栄光の瞬間】2003年第4回ジャパンカップダート It's Show Time‼︎

逞しいサラブレッド達が、濛々と砂塵を巻き上げ競い合うダートレース。どこで走っても、サラブレッドという動物は絵になる奴らだけど、私はダートを走る馬達が好きだ。

特に、田圃の様に泥濘んだ馬場状態で行われるレース。馬もジョッキーも、泥塗れになって栄光を競い合う姿は、戦国乱世の戦を彷彿とさせ、つい手元に握られている、ツマラナイ紙切れを忘れて、見入ってしまう。

ダート界も世界へ扉を開けよう。

芝を主戦場とする馬達と同じく、武骨で逞しいダート馬達にも、世界へ開かれたジャパンカップダートが創設されたのは2000年だった。

岡部幸雄騎乗のウイングアローが初代砂王に君臨し、翌年の第2回競走では、クロフネと武豊が常識ハズレのパフォーマンスを見せつけ、ファンを興奮させた。

府中の改装工事で舞台を中山に替えた第3回も忘れ難い。2000年の3歳マイル王イーグルカフェが、神と崇められるランフランコ・デットーリに導かれ、芝とダートダブルGⅠ制覇をやってのけたあの日は、イーグルの才能とフランキーの天衣無縫な技術に、ただ驚くことしか出来なかった。

しかし、私がこのジャパンカップダートで、最も熱くなってしまったのは、2003年の第4回である。

まるで世界が終わりを迎えるかの様な真っ暗な空模様の下、猛者達が泥濘む府中の砂場に集結した。

人気は砂を知り尽くす安藤勝己騎乗のアドマイヤドン。兄達は芝生で躍動したが、ドン君はダートでその素質が開いた。華麗なるベガ一族の中では、チョット逸れた坊っちゃんである。

芝のジャパンカップの創設期は、海外勢に痛め付けられて幕を開けたが、ダートのジャパンカップは、ここまで全て日本馬が優勝を果たしている。

アドマイヤドンを筆頭に、若武者サイレントディール、ユートピア、ビッグウルフが続き、砂の女帝ロジータの息子カネツフルーヴ、公営から再び狼煙を上げたネームヴァリューなど、能力、そして名馬の必須条件である個性共に、最高級のメンバーが日本代表に名を連ねた。

一方、ダート大国アメリカからは、3歳馬のオウタヒア、セン馬のフリートストリートダンサーの2騎が来日。しかし、どちらも実績面が乏しく、日本馬の相手にならないとファンは評していた。

スタンドの照明が、田圃の馬場を照らす。不規則に生じた蹄型の凹みに溜まっている雨水が、それを反射させている。戦の舞台は整った。ダート世界チャンピオンのタイトルを賭け、ゲートが開く。

ハナを叩いたのは枠利を活かした1枠1番のカネツフルーヴ。ロジータの息子が難なく主導権を握り、照明の光が届かない真っ暗な向こう正面へ後続を導いていく。

ドンは好位の内目。容赦なく泥がぶつかるタフなポジションだったが、そこは数々の修羅場を潜り抜けて来た男。怯むどころか、手綱を握る安藤が抑えるくらいの気合を見せていた。1.5倍の圧倒的な支持を受けた彼に、ライバル達は包囲網を敷いた。

サイレントディール、ハギノハイグレイドらが外側と後方に陣取り、ネームヴァリュー、更にアメリカのフリートストリートダンサーが前から蓋をする。愈々、戦国の雰囲気が漂ってきた道中の鬩ぎ合いだった。

渋い名コンビ、伊藤直人とスマートボーイが脱落し、好位陣が先行勢へ襲いかかる。安藤は、上手くドンを外目へ出した。

直線。逃げるカネツフルーヴを捕らえたのは、フリートストリートダンサー。粘土質のアメリカンダートで鍛え上げられた脚は、田圃馬場なんかではヘコタレナイ。グングンと脚を伸ばし、先頭へ躍り出た。

その時、法螺貝の音…いや歓声がスタンドから捲き起こる。日本代表の大将、アドマイヤドンが、安藤の豪腕に押され、一気にアメリカ馬へ迫る。

坂で馬体を併せた日米のパワフルサラブレッド達。

日本人ジョッキーは、しなやかに馬を御す。と世界に知られているが、安藤勝己にその常識は当てはまらない。ドンの首が取れるくらいガンガンと追い、踝を器用に動かし更に力を引き出す。その騎乗っぷりは、フリートの鞍上、ジョン・コートにも負けない迫力のあるものだった。

依然、ピタリと馬体を併せたまま坂を上る。デッドヒートの明暗を分けるのは、最後の一滴。どちらが先に出すか?彼らは、ギリギリの状況下で、その機会を伺った。

先に出たのは日本、アドマイヤドンと安藤勝己。ハナからクビ差ほどアメリカをリードすると、瞬く間にスパート体制に入った。相変わらず差は僅か。しかし、勝負アリと判る様な態勢だった。

フリートストリートダンサーは一歩後退。本場のメンツに掛けて意地を見せんとする彼らは、その一歩を埋めようと再びインコースからアンカツとドンに食って掛かる。

ゴールまで残り150m。ほんの一瞬、ドンが外へ寄れた。フリートは、それを見逃さず鼻先を捩じ込み僅かに先頭へ出た。

日本とアメリカのデッドヒートの結末は、ゴールを過ぎても分からなかった。

しかし、この言葉も要らない激闘でも、写真判定という文明の利器は、無機質に正確な答えを出す。

着差4cm。勝利を手にしたのは、フリートストリートダンサーだった。

彼らが制して以降、このレースは再び日本馬が独占し続け、開催場、更にレース名まで変わり、今日に至っている。

今年も残念ながら、異国の猛者達の参戦は叶わなかったが、魅力あるメンバーが揃った。

師走の寒さを忘れる様な熱戦を、第17回チャンピオンズカップに期待したい。

最後に…。
このレースに、挑むことが叶わなかったタガノトネール号の冥福を心よりお祈りします。

そして長らくダート界を牽引し続けてきたホッコータルマエ号には、最大限の労いと感謝の言葉を贈りたい。今までありがとう。お疲れ様!次のステージでも活躍します様に…。