【栄光の瞬間】2000年第122回天皇賞(秋)・王者の凱歌

1987年、ニッポーテイオーが5馬身差で勝利した第96回以降の天皇賞秋は、一番人気に支持された馬が勝てない時代が続いていた。

最も勝つ可能性があると支持した馬達に、栄光がもたらされない。1年、2年くらいなら、偶然の出来事として処理できるが、さすがに12年も続くと、穏やかな心境ではいられなくなってくる。

人間は自分の常識の範疇から逸脱した物象に遭遇すると、虚構の世界に縋る傾向がある。例えば、夏になると、そこらかしこで語られる怪談話。

そんなものは存在しない、というドライな常識を持っているが、それを完璧に証明する術を持っていない多くの人々は、魑魅魍魎の類の仕業として処理する。その結果、この世には幽霊が棲んでいる。という心霊の世界が出来上がるのだ。

12年も続く不思議な現象に遭遇したウマキチ達は、府中の2000mには魔物が棲んでいる。と、見えない何かに怯え合った。

魔物と言えば、出来れば会いたくない、虚構の世界の恐ろしい住人だが、東京都府中市に居を構える魔物氏は、その存在を綺麗に潜め、姿を眩ましていた。

例えば97年の第116回。この時、一番人気に支持されたのはバブルガムフェローだった。しかし、結果は女傑、エアグルーヴとの競り合いに負け2着。またしても最上位人気馬が、敗戦の憂き目に遭遇したが、バブルとエアのデッドヒートを見せ、ファンを心酔させた魔物に、楯突くものは居なかった。

或いは99年の第120回。白き逃走者、セイウンスカイが一番人気に支持されたが、栄光を手にしたのは、同期のダービー馬、スペシャルウィーク。前走の京都大賞典で大敗し、終わった…と囁かれたスペシャルウィークの復活劇に狂喜乱舞したファンは、やはり魔物の存在を忘れていた。

時は流れ続け、20世紀末の2000年。

東京競馬場の何処かに潜み、レースを影から支配する魔物の前に栗毛の王者が進軍してきた。

テイエムオペラオー。

年明けの京都記念から始まったオペラオーの快進撃は、90年代最後の怪物、グラスワンダーも寄せ付けず、ここまで年間無敗。重賞5連勝で駆け抜けてきた。

普通のレースならば、単勝は1倍台前半の支持を集めるだろう。

しかし、挑むのは天皇賞秋。ファンは、見えない魔物に脅かされ、2.4倍の単勝オッズで、オペラオーを迎え入れた。

オールドファンの脳裏には、皇帝が敗れ去った1985年の第92回が過ぎった。また、あっと驚く様な伏兵が現れるかもしれない。

過去の天皇賞を後学で知り、デジタル文明に生きる若いファンは、オペラオーの欠点となるデータを探し出し、それを支持した。

老若男女、全てのウマキチが戦々恐々とする様を、何処かで見ていた魔物は、独りニヤニヤしながら、我が物顔で陣取った。

…2分後、主役になるのは俺だ。やっぱり天皇賞秋は、人気馬が勝てないね…というボヤキを聞いて、俺は21世紀へ姿を消す…。

このクソ厚かましい客が、馬券も買わず最前列に居座ったせいで、空はどんよりとした鈍色の雲が広がっていた。

92,294人のファンと、一匹の魔物が見守る中、20世紀最後の天皇賞競走のゲートが開く。

大外枠のミヤギロドリゴと横山典弘が出遅れたが、その他の各馬は綺麗なスタートを決めた。トリッキーな府中の2000m。その最初の難関である、第2コーナーを先頭で通過したのはロードブレーブと柴田善臣。ハナを叩くと、一気に加速し、3、4馬身ほどリードを取った。

番手以降は的場のメイショウドトウ、飯田のメイショウオウドウといったメイショウ勢に、幸のトゥナンテらがひしめき合っている状態だった。

一番人気のオペラオーは、その集団のど真ん中。非常に苦しいポジションを進むことを強いられた彼に、ライバル達はプレッシャーをかけてゆく。

出遅れたミヤギロドリゴが、外から猛烈な加速を見せ、オペラオーの外側を通過すれば、内から岡部幸雄のイーグルカフェが肉薄し、更には佐藤哲三のミッキーダンスまでもが、彼らの進路を封鎖する。

口を割り、何かを叫ぶように、王者は吼えた。一致団結で自分を潰そうとする者達への怒りか?それとも、自らを鼓舞するための咆哮か?デビュー来からコンビを組む、和田竜二は手綱を引き、相棒を宥めた。

オペラオーを掠めて行ったミヤギロドリゴが、先頭を行くロードブレーブに並び掛け、前は二頭の大逃げに様相が変わっていた。

人気薄の大逃げ、完全包囲網の渦中に放り込まれたオペラオー。

この状況を見て、最前列に居座る奴さんは、シメシメと思っていたに違いない。このまま進めば、王者は馬群へ沈み、大波乱が巻き起こる。野郎が世紀末に用意していたシナリオは、大波乱で幕を閉じる20世紀の天皇賞だった。

しかし、欅を過ぎると、テンから先頭で頑張ったロードの脚色が鈍り始め、番手以降がドッと押し寄せてきた。大逃げ大波乱のシナリオは、この時点で消滅したが、まだオペラオーの包囲網は解けていなかった。

ミヤギロドリゴ先頭で最後の直線へ。しかし、額に大流星を持つトゥナンテとメイショウドトウは、もう既に彼を射程圏に入れていた。内を進むトゥナンテを目掛けて、的場がドトウを寄せる。その時、外側にスペースが生じた。

オペラオーと和田は、それを見逃さなかった。生じたスペースを奪い取り、ようやく包囲網を脱出した彼らは、ここから王者の行進を開始する。

馬場のど真ん中を、勇ましく駆け抜けるテイエムオペラオー。同期の菊花賞馬、ナリタトップロードと渡辺薫彦が、背後から抵抗を試みたが、彼の視界には映らなかった。

大流星コンビも、誰も彼も全てを置き去りにし、栗毛の王者は、府中で高らかに歌った。武蔵野の杜に響き渡る勝利の歌声。それを聴くスタンドの群衆の中に、あの野郎の姿は無かった。

天皇賞秋で、一番人気に支持された馬は勝てない。

この言葉も、最近ではあまり耳にしなくなった。しかし、野郎はまだ府中に棲んでいる。府中市に競馬場があり、天皇賞秋が開催され続ける限り、ずっとそこに居るだろう。

私達と同じく競馬が大好きな府中の魔物さんと一緒に、第154回天皇賞秋を楽しみましょう。