デムーロの前に抵抗したも勝てなかった田中勝春騎手
いまから13年前のクラシック路線は、ネオユニヴァースとサクラプレジデントが皐月賞の前の段階では抜けた存在だった。ネオユニヴァースが当時は短期免許のデムーロ騎手。サクラプレジデントは田中勝春騎手。後日、田中勝春騎手とそのタニマチ的存在の親しい人を含め5人で田中勝春騎手とダービーから1か月を過ぎた頃、銀座の割烹で食事をした。
日本ダービーは完全に馬が入れ込んでしまって、思ったように動かせなかったと語っていたが、皐月賞に関してはデキは万全だったし、絶対に勝てると思って騎乗した。しかし、デムーロが騎乗するネオユニヴァースにゴール前強襲され、ゴール板を過ぎてからデムーロ騎手が喜びのあまり、ヘルメットを叩いてしまった。
そのことを本人はどう思って聞いてみたところ、「G1勝利は格別なものだし、ましてミルコ(デムーロ騎手)は短期免許のため、G1全部には乗れない。自分が逆の立場だったら同じことをしたと思う。それにしても皐月賞は勿体ないことをしたなあ・・・。」と淡々と話していたのが印象的だった。この会食での最大のNGワードは日本ダービーの話。この話は一切触れてはいけないのが、田中勝春騎手以外の4人の暗黙の了承の世界であった。如何せんこの時点で10年以上もG1を勝ってなかったのである。その日はいつもより田中勝春騎手のお酒の進みが速かった。なぜ酒の進みが早かったのかは、みんなわかっていた。それから4年後の皐月賞でヴィクトリーで久々のG1勝利を飾った。盛大な祝賀会が開かれたのは殊更、説明するまでもない。